2008年11月07日

戦争論、反戦論、敗戦後論――2008年11月2日の会合の報告

 2008年11月2日(日)に行なわれたアフター・カーニバルの会合で話し合われたことについて、自分なりにまとめてみたい。

 今回の会合の課題本は、大塚英志『サブカルチャー反戦論』、加藤典洋『敗戦後論』、内田樹『ためらいの倫理学』であり、テーマ設定をひとまず簡単にまとめてみれば、戦争とそれにまつわる言説の問題である。

 まずは、アフター・カーニバルでこれまで話してきた議論の文脈を提示してみたい(ここ最近の議論については、R氏が長大なレジュメを作っているので、それもまた参照してほしいhttp://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/aftercarnival/diary/200808)。

 アフター・カーニバルの会合は、そもそも、村上春樹の小説を読む会から出発した。『風の歌を聴け』から始まって、村上春樹の作品を、長編小説を中心に、年代順に追っていった。その流れの中で、様々な派生的な問題が提起され、村上春樹の小説以外からも、課題本やテーマが選択されることとなった。

 村上春樹の小説を読み、それについて語り、考えることは、われわれ自身について考えることとほとんど同義である。われわれが生きている場所やわれわれがこれまで経験してきたことについて考えるのとほとんど同義である。むしろ、そのような密接な関わりのない読書というものは、まったく空疎な読書と言えるだろう。そして、そのような密接な関わりを誘発するような魅力的な言葉を村上春樹は提出しているように思える。そのような共通了解の下で、われわれは、春樹の小説を読んできた。ゼロ年代の現実を生きるときに、われわれは、春樹の小説を必要としたのである。

 なぜ春樹の小説だったのかということについて、言葉のレベルからだけではなく内容のレベルからも考えると、その理由は、春樹の小説が、60年代から70年代へ、そして、80年代へという時間の流れを提示している、まさにそのようなクロノロジーが、80年代から90年代へ、そして、ゼロ年代へというわれわれのクロノロジーと対応しているところがあったからである。こうした時間の流れの中で、春樹が提出している実感というものが喪失感であり、この喪失感を、われわれもまた、共通して抱いているのである。「アフターカーニバル=祭りのあと」という言葉は、そのような喪失感に与えられた名前に他ならない。

 春樹は、とりわけ初期の小説において、60年代から70年代への移行を重視する。そこに何か決定的な切断があったことを(再)発見するのである。春樹は、そのような自分自身の立場を、ロストジェネレーションと呼ばれる世代の作家たち(1920年代にアメリカで活躍した作家たち)、とりわけ、フィッツジェラルドに見出す。われわれの世代が同様にロストジェネレーションと呼ばれているのは、決して偶然ではないだろう。そこには、明らかな対応関係があり、そうした対応関係を、春樹を介することによって、われわれは発見したのだ。80年代から90年代への移行において、あるいは、90年代からゼロ年代への移行において、われわれは何かを失ったという実感を抱いたのである。

 しかし、いったい何が失われたのだろうか? そのことはまったく明白ではない。冷戦構造の崩壊によって大きな物語が失われたのだろうか? バブル崩壊によって右肩上がりの経済発展の可能性が失われたのだろうか? 就職氷河期によって正社員になる可能性、さらには、独立して家族を持つことの可能性が失われたのだろうか?

 いったい何が失われたのかということを性急に名指すべきではないだろう。ひとたびそこで名前が与えられてしまえば、失われたものの回復がすぐさま主張されることになるだろうし、その結果、われわれの根本的な実感が損なわれることになるだろうからである。従って、赤木智弘の出現は、必然的であったとしても、性急にすぎるところがあったと言わざるをえない。そこでの赤木の主張は、失われたものの回復要求として聞き取られたところがあるように思える。

 そもそも、失われたものの回復が問題になっているのだろうか? 春樹においては、むしろ、失われたものの回復に対する断念が問題になっていると言える。そうした意味で言えば、このゼロ年代という時代は、断念の時代だったと言えるかも知れない。おそらく、世間の流行は、こうした断念とは対照的な様相を呈していたことだろう。様々な場所で、様々な回復や復権が主張されていたことだろう。しかし、その一方で、様々なサブカルチャー作品において、断念や諦念といったものが描かれ続けていたように僕は思うのである(このことの詳細については稿を改めて問題にしてみることにしたい)。

 われわれの問いは、次に、70年代から80年代への移行に向かう。つまり、村上春樹のデビュー(1979年)から80年代的な出来事を確認していくことに向かう。このことは、われわれのこれまでの生を確認していくことに繋がる。いったい何がわれわれを作り上げてきたのかということを確認する作業へと向かうのである。そのときに、サブカルチャーに対する関心は欠かすことができない。アニメ、マンガ、映画、ポピュラー音楽、ゲームといった諸々のサブカルチャーに対する考察が、われわれに議論の大きな土台を与えていた。『きまぐれオレンジロード』の最終回に提示される「夢のような80's」という言葉が、われわれの生の背景をなしていると言える。

 そして、われわれは今年、やっとのことで、90年代という地点、とりわけ、95年という地点に辿りついた。春樹の作品で言えば、『ねじまき鳥クロニクル』を問題にし、『アンダーグラウンド』を問題にしたのである。そして、この95年という地点は、われわれを戦時中に、特に1945年という敗戦の地点に引き戻すことになった。

 戦争の記憶がことさらに喚起されたのが、90年代であり、また、ゼロ年代であったと言える。大塚英志は『サブカルチャー反戦論』で、911、イラク戦争、そして憲法九条を問題にする。改憲論議が急激に高まったのがここ数年であったわけだが、95年の時点で(『敗戦後論』)、加藤典洋は、日本国憲法の「ねじれ」を指摘していた。つまり、日本国憲法には日本がアメリカに負けたという経験が刻印されていると言うのである。この指摘によって、必然的に、われわれは、敗戦の問題が未だに終わっていないことに気がつく。村上春樹がノモンハンに言及せざるをえない事態がそこにはある。さらに、村上春樹は、地下鉄サリン事件のうちに、ノモンハンのときと同じ日本的な問題(いわゆる無責任体質)を見出すのである。

 これらの指摘、これらの記憶の喚起は、言葉と物語に対するわれわれの関心に結びつく。言葉とはわれわれの生の現実を名指し、特定化し、描写するもの、物語とはわれわれの生に方向を与えるもの、というふうにひとまず簡単にまとめることができるだろう。現在を生きるわれわれにとって、こうした言葉と物語とが極めて貧しいものになっているというのが、素直な実感である。大塚英志が『サブカルチャー反戦論』の中で言いたかったのも、そういうことなのだろう。つまり、主流の言説に何か違和感を覚えたとしても、その違和感に与える適切な言葉が見出せない、ということである。反戦の言葉を紡ぎ出すことが極めて困難になっているというのである。

 さらには、今日のわれわれには、サブカルチャーという形態でしか、物語が成立しないという問題もある。こうしたサブカルチャーの物語のジャンクさを、村上春樹は、オウムの言説に見出した。ジャンクだからこそ、つまり、単純明快で通りがいいからこそ、そうした物語が魅力的なものとなっているという逆説がそこにはある。それでは、オウム的な終末思想を避けるために、そうした物語を単順に拒絶すればいいのだろうか? 「終わりなき日常を生きろ」と言えばいいのだろうか? しかし、宮台真司が、90年代からゼロ年代にかけて、大幅な方向転換をすることで指摘したように、物語なき生というものは、多くの人にとって、耐え難いものである。無意味で無価値な生(交換可能な記号的な生)に、いったいどれだけ、人は耐えることができるのか、という問題がそこにはある。だからこそ、一方で、小林よしのりは、日本人の大きな物語という虚構を、そのジャンクさに極めて自覚的でありながらも、『戦争論』という形で提出したのであり、他方で、大塚英志は、そのようなサブカルチャーの虚構性に常に自覚的であれ、というささやかな倫理を提出することになったのである。

 だが、今日、安倍晋三の「美しい国」という虚構は、「生活第一」という言葉によって駆逐されてしまった。しかし、「生活第一」という言葉が、われわれの生の実感を本当に指し示す言葉なのだろうか? 何らかの政治的闘争が現実にあるとしても、それは、いったい、どのような闘争なのだろうか? 日本人として生まれ、日本人として育ったという素朴なナショナリズムの自明性を脅かすリベラリズムとの闘争が問題なのだろうか? それとも、劣悪な環境で働く若い労働者と既得権益を保持したまま逃げ延びようとする年長者世代との闘争が問題なのだろうか? これらの構図は極めて単純であり、そこで語られる闘争の物語もまた、極めて凡庸であると言わざるをえない。それでは、ケータイ小説で語られるような、愛するものとの別れといったトラウマ的な出来事からの回復という物語が、われわれの生にとって本質的なのだろうか?

 一方には、競争と闘争の物語があり、他方には、自己実現の物語がある。福本伸行、古谷実、浅野いにおといった今日のマンガ家たちが描いているのは、そのような二つの物語が崩壊する地点である。つまり、敗者の実感がそこでは問題になっているのである。競争に負け、自己実現を達成できなかった者は、いったいどのような生を享受しているのだろうか? これらのマンガ家たちは、そのような敗者の姿を、勝利の言説に回収されることを避けながら、描き出そうと苦心している。

 ここにおいて敗戦の記憶が蘇る。戦争に負けた国としての日本。その実感を加藤典洋は思い起こさせてくれた。つまり、そこで明確に指摘されているのは、当時の日本は、負けた者の言葉を紡ぎ出すことなく、敗戦という事実をごまかした、ということである。退却を転進と言っていたように、敗戦を終戦と言うこと。そのごまかしの悪影響が現在にまで引き継がれているのであって、われわれは、負けた者のことを適切な言葉で語ることができなくなっているのである。

 「なぜお前は勝てなかったんだ」という責めの言葉にしても、「また次に勝てばいいさ」という慰めの言葉にしても、敗者にかける言葉とは、勝利が前提となった勝ちの言葉でしかないだろう。日本は戦争に負けたが、戦後に驚くべき経済発展を遂げた、というのは勝ちの言葉である。ここでの価値観は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」というものでしかない。経済でも勝てなくなった日本は、また別の領域で、ナンバーワンを目指そうとするだけだろう。オリンピックでもノーベル賞でも、ナンバーワンを目指そうとするだろう。

 では、ナンバーワンを目指さないのであれば、オンリーワンを目指せばいいのか? しかし、自己実現のうちにも、まさに競争が入り込んでいる。個性や多様性という言葉と競争という言葉は、決して相対立する言葉ではない。個性のある人間とは勝者のことであり、勝者が最も個性的な人間なのだ。だとすれば、取り立てて特徴のない人間、他の人間といくらでも交換可能な人間、いてもいなくても同じような人間に対しては、どのような言葉が与えられるのだろうか? 「もっと個性的になれ」とでも言えばいいのだろうか?

 アフター・カーニバルは、まさに、このような現実的問題に直面している。これこそがわれわれの生の問題であると実感している。加藤典洋は『敗戦後論』の中で「無意味」という言葉を使った。戦争に負けた日本兵の死者たちの生は「無意味」だ、というのである。これを決して否定的な言葉としてだけ聞き取るべきではないだろう。ここに見出される否定性は、われわれの勝ちの言説を打ち壊すための起点となる。そこには何か言葉によって回収されないものがある。そうした回収されなさをこの否定性は指し示しているのである(こうした否定性を、内田樹は、カミュを参照しつつ、「ためらい」と呼んだ)。

 こうした否定性を逆説的な仕方で提示するのが文学の言葉と言えるだろうが、しかし、今日の問題とは、そうした文学の言葉を担うのがサブカルチャーでしかありえない、というところにある。言い換えれば、これは、通りのいい言葉や通りのいい物語によってしか、文学的な否定性を提示することができないということであるが、これは、まったくもって、困難な事態である。理解ではなく理解のされなさが問題であるにも関わらず、そこには理解しやすい言葉しかないのだ。こうした困難の中で、一抹の倫理として、大塚英志が提示するのが、虚構への自覚なのであるが、まさに、今日の問題とは、そんなふうに距離を保っていた態度(ネタやメタといった態度)が、ある瞬間に、突然ベタなものへと変転してしまう、というものだろう。そのときに、大塚英志や宮台真司が取っている戦略は、いったいどうなってしまうのであろうか?

 こうした問いを抱えて、われわれが次に取り組むことになるのが、大塚英志の『サブカルチャー文学論』である。ここで検討されるのは、まさに、今日の時代における物語、文学、言説といった諸々の言葉についての問題である。こうした観点から、われわれは再び、村上春樹のテキストに取り組むことになるだろう。(SIZ)
posted by SIZ at 00:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 会合の記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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