2010年10月19日

失われた祭りをもとめて〜終焉を廻るまなざし(四)

★時間的な「あと」、空間的な「あと」、存在論的な「あと」

 ここまで「祭のあと」を問題にしてきたが、この「あと」という事態は、時間的なものであろうか。それとも空間的・場所的なものであろうか。もちろんその両義性をともに含意してきた。つまりそれは、祭り以後の「後」であり、祭りの現場の名残としての「跡」であった。
 しかし本当の意味で問題にしてきた「祭りのあと」の「あと」とは、もっと存在論的な地平にまで広がっている。時間的にも空間的にも「いまここ」は「祭りのあと」であるのにもかかわらず、みずからの内裏では「祭り」が続行せられている状態を問題視してきた。スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』のギャツビーが、失われたかつての愛を信じて、内面化された「祭り」をあくまでも延命させようとするアナクロニズムに孤軍奮闘した結果どうなったか。彼は夏の終わりに死んだ。終わりゆく夏を生き残ることは出来なかった。ギャツビーという存在の内奥にまで失われたはずのかつての「祭り」が及んでいた、いやもはやギャツビーという存在の何ものであるかは、「祭り」によって規定されていたと言ってもいい。ここでは「祭り」は「青春」と呼んでもいいし、失われた愛の時間と見ることも可能だ。
 そのような妄執に引きずられた「祭りのあと」の「あと」は、意識的であれ無意識的であれ、いわばある種の「痕」として刻印されているものである。だからそのような、己の内面で埋み火のようにくすぶって、みずからを規定し制圧してしまうような「痕」をはっきりと意識の俎上に載せ、精確に克明にありのままに、「祭り」をなぞり返す必要があるのだ。みずからの身体に深く食い込んでしまった「祭り」を自己剥離するために。
 「祭り」がリアルタイムで「祭り」であったときは、他者と共有され相互に営まれていたものだろう。原則的には「祭り」は独りで運営されるものではありえない。他者との関係性のなかで、なにがしか共時的に了解されつつ培われた文脈作りが、すなわちひとつの「祭り」の形成と駆動へと繋がるのである。しかしながら「祭りのあと」は、個別的なものであり個人的なものである。だからこそ、そのもの自身の主観性のなかで、かつての「祭り」が鎮魂されねばならないのだ。「あの痛み」が「この痛み」としてみずからに痛覚されるまで、個別的な「悼み」が必要なのだ。

 日常生活は終わりなきものだが、非日常である「祭り」は終わりあるものだ。しかし「祭り」からいつ帰るのかは自己決断せねばならない。やがては「祭り」じたいが終わるが、帰り際を逸し、みずから帰れなかった者は、「祭り」を個人的な形で引き継ぎ続行させてしまうからである。われわれアフター・カーニバルはついに「祭り」から帰りそびれた者たちである。

★終わらないもの

 夏目漱石の前期三部作と言われる小説群は、まず『三四郎』の青春が描かれ、『それから』後の脱モラトリアムの懊悩が主題化される。また略奪愛という恋愛の禁忌への逸脱の果てに、『門』では淪落したかのような駆け落ち夫婦の、今や少々冷えこんできている実生活が、罪におびえながらも基本的には平穏な日常として描かれている。だが『門』で描かれる、すべての「あと」の光景はそんなに静寂なばかりではなく、むしろ不穏さを秘めた凪のようなものである。そこでは「過去になったもの」と、自己存在にひそかに底流する「終わらないもの」「片付かないもの」という、漱石文学に一貫するテーマが問われていた。その「終わらないもの」は、後期の『こころ』においては、過去の罪と過去の愛(執着)との対置のなかで循環的に増幅され最終的に先生を自殺へと追いやる。先生の罪悪感は友人Kの自殺直後よりも、年を経るごとに重くなってゆく。でなければKの自殺直後に迂闊にもお嬢さんとそのまま結婚するはずもない。とすれば先生は罪の意識そのものに耐えられなくなったというより、罪を己が存在規定に抱えこんで以来の長い時間性に耐えかねたのかもしれない。恋愛による悲劇と恋愛の成就による歓びのあとで、先生は過去の「終わらないもの」をここまで引きずってきてしまった分厚い時間の、その距離の遠さに絶望したのかもしれない。
 では先生は自らの「過去」をどのように取り扱えば、死なずにすんだのだろうか。

★遊びの時間

 一連の「祭りのあと」に関するこの論考めいたものもこれが最後となる。ここで改めて断っておきたいのだが、そもそも「失われた祭りをもとめて」と題しているが、これは「あの祭りよ、もう一度」ということではない。そうではなく、みずからにおいて「失われた祭り」が何であったのか、それを解き明かすことを意味しているのである。
 それはすなわち「失われた祭り」の終焉を決定づけることであり、かつての「祭り」と訣別するための必須の手続きである。われわれには、過去の幻影やその残滓とよく別離し、新たな全き日常性へと軟着陸するための弔いが必要なのである。

 浦沢直樹『20世紀少年』(映画版)に出てくるトモダチ=みずから20世紀を代表しているという少年は、「遊びの時間」を終えることの出来なかった人間であった。
 たいていの子供は毎日の遊びの時間を終えて夜になれば家に帰って行く。そしてやがて成長して「遊びの時間」に自ら終止符を打つことによって成熟した「大人」となってゆく。では20世紀少年から「成熟」の契機を奪ったものは何か。彼をして「遊びの時間」に自ら終止符を打つことを無限に延命させつづけたものは何だったのか。
 おそらくそれは「遊びの時間」がそもそも彼になかったことによるのだろう。真に遊べるトモダチと関係を築き、豊かな「遊びの時間」を経験することなく少年時代を終えてしまった彼は、思春期も成人後も、そうした悔恨と慚愧とルサンチマンの記憶を抱えて生きてきたのではないだろうか。だから20世紀少年は言うのだ。「まだ遊びの時間は終わりじゃない」と。かつて自分がトモダチになりたかった遠藤ケンヂが彼に土下座して謝るとき、拘りつづけてきた「遊びの時間」をあっけなく終わらすような「大人」の振る舞いに彼は恐怖するのだ。
 匿名的な20世紀少年は「カツマタ」という固有名があったが(それも本名かどうかわからないにせよ)、周囲の大して自覚も悪気もない悪意によって排除されたあげく「死んだ」ことにされ、またそう語られることによって本当にそれぞれの記憶のなかで抹殺され無名化していった。たとえばクラスの誰かが死んでも彼自身はそいつの記憶を持ち続けている。しかし反対に自分は生きているのにもかかわらず、やがて皆の記憶から消えて死んでいく。自分が生きているそうした小さな共同社会における致命的な不均衡が、彼から「遊びの時間」を十全に体験するという契機を決定的に奪ったのである。主人公の遠藤ケンヂ自身もそうした「忘却」に加担していた張本人であったことを最後になって気づく。悪意こそなかったものの、みずからの過ちによって損なわれてしまったトモダチの少年時代を彼は思い出せなかったのだ。知らず知らず傷つけていたトモダチの顔も名前も思い出せなかったのである。だからトモダチはみんなの「遊びの時間」が終わったあとも、ひとりで壮大かつ非人間的な「遊びの時間」を繰り広げることになったのだ。かつてそこに参加することが出来なかった「遊び」、それに代わるものあるいは凌ぐものとしてあったがやはり参加の望みを絶たれてしまった大阪万博。万博というお祭り。万博の夢。それを再現するために、その荒唐無稽な「遊びの時間」に世界とケンヂたちを巻き込み、「まだまだ終わっていないよ、ゲームはこれからだよ」などと言って、みんなを付きあわせようと腐心していたのである。

★アフター・カーニバル

 今われわれアフター・カーニバルは「遊びの時間」を終えようとしている。むろんすでに終わっているそれぞれの「遊びの時間」をだ。そのようにして再び初発の地に立とうとするかのように。そこはわれわれにとってのグラウンド・ゼロなのだ。
 しかしわれわれにとって、あるいは各人にとっての「アフター・カーニバル」が何であったのか、そもそも「失われた祭り」がいかなる姿形をしたものであったのか、いまだその内実を突き止められたわけではないだろう。それでも終えようとしているのだ。それぞれの「祭りのあと」を。
 そこでは、いかに容易ならざるとも、ともかくもそれは終わったのだと宣言することがひとつの「知恵」として実感されている。そこからこぼれ落ちるものはむろん多いだろう。だからこそ、こぼれ落ちるものを何ひとつ見逃さず豊かに抱え込んでいること、むしろそのような不十全さを、それでいいのだと肯定しようとし続けることなのだ。
 それが今のところ、さまざまな断念の果てにかろうじて可能な「言祝ぎ」であり、かつ「鎮魂」として選び取られた、アフター・カーニバルの痛切なる倫理なのである。−了−(R)

2010年10月18日

失われた祭りをもとめて〜終焉を廻るまなざし(参)

★よそながら見ること

 以上(前回まで)のことと関連するか分からないのだが、『徒然草』に少し触れたい。有名な「花は盛りに」で始まる第137段に、「よそながら見ること」という吉田兼好の、世界への距離の取り方がうかがえる箇所がある。満開の盛りの花ばかりに情趣があるのではなく、「散ったあと」の偲ぶ心によってより彼方へと想いは馳せられ、「非在」への憧憬に誘われるのだという。花見という祭りのまさに最中に、脇目もせず花ばかり見上げて、しまいには花の枝を無思慮に折ったりするようなふるまいには、「よそながら見ること(=ものを隔てをおいて見ること)」がないのだと。対象に「ねぢより、立ち寄り」するのでなく、距離をおいて感受することを説く。そうでない者が「賀茂祭」を見物する有様は醜悪である。メイン・イベントの行列がやってくるのが遅れていると、それがやって来るまではこの桟敷にいる必要はないといって、奥の家で飲み食いしたり囲碁・双六で遊び過ごし、かつ桟敷には見張りを置いておいたりする。そのくせ見張りがいざ祭の到来を告げるや、我先にと争って押し合いへし合い一つも見逃すまいと貧乏根性をむき出しにする。むろん見るものごとにいちいち愚にもつかない感想を吐かずにはいられないが、行列が過ぎ去るととたんに「また次がくるまで」と家に引っ込むのである。
 これはどういうことかと言えば、「唯物をのみ見むとするなるべし」ということだ。だから「祭り」を見るとはどのようなことかという問いが出てくる。どこまでが「祭り」の全体であるのか、あるいは何がその本質なのか。彼らは「唯物のみ」、「祭り」なら「祭りの行列のみ」を即物的に執着しようとしているに過ぎない。そこには我欲に埋没し対象と自他未分に癒着する貧弱な自己のありようしか見あたらない。ものを離れて観ることは、俗にいて俗を観ながら、なおそのものから遊離していることを通じて自己が定量・定位され、かろうじて縁取られてくるのであって、つまり自己存在の何であるか、その宿命性・有限性・無常性を思い知るための適切な距離調整の営みなのである。
 
 かつて映画監督の鈴木清順が「たまさかの美」というものを大事にしたいと述べていたことを思い出す。「たまさか」とは、たまたまの意味であり、偶然性を指すやまとことばである。
 たとえば打ち上げ花火を観たと言うとき、あらかじめ準備してしかるべき時にしかるべき場所へ行って待ち望まれたところに予定通り打ち上がってきた花火を歓楽した場合と、夜道を何となしに歩いていた時のふとしたよそ見にぱっと一瞬立ちのぼった花火に出会った感動と、どちらがより深い余韻を残すだろうか。夏の夜の一天を突き破るその音は、どちらが強く胸に響くだろうか。
 おそらく前者であれば容易に「来年もまた来よう」などといって実際にそうすることだろう。それは今失われた「祭」をもういちど求めることである。また後者であっても、たまさかの一瞬では飽きたらず、「どうせならもっと近くへ」「もっといっぱい見たい」などと、改めて「花火を見に行こう」とみずからふるまい出すことは、賀茂祭で「よそながら見ること」なく、自己の我執に搦めとられて省みることがなかったのと同様なのである。だから対象のさらなる「理解」や「受容」を追い求めるのでもない。鈴木清順はそうではなく、たまさかの打ち上げ花火と縁づいた一瞬の脇見のあと何ごともなかったように立ち去れというのである。そのような態度によって対象と深く出会うこと、驚くということ、何かを真に「観た」ということがあるのだと。
 そぞろ歩きのつれづれに、たまさか「よそながら」見て、一瞬の後にはかなく消え去った花火と自己とは、おのずからある隔てをもって出会われている。そこには遥かなものへの遠望感覚がある。打ち上げ花火とのそうした距離感、遠くに想いを馳せることによって、対象とゆかしく付きあう至純の倫理がある。そうしてそれはまたこの世の無常の無常性の内に深く根ざそうとする営みでもあるのだ。

 さて、真に「祭り」を見るということは、「祭りの行列のみ」を見ることだけではないと前に示唆した。『徒然草』の著者である兼好法師は次のように書いている。

 
暮るゝ程には、立て並べつる車ども、所なく並みゐつる人も、いづかたへか行きつらん、程なく稀になりて、車どものらうがはしさも済みぬれば、簾・疊も取り払ひ、目の前にさびしげになりゆくこそ、世のためしも思ひ知られて、あはれなれ。大路見たるこそ、祭見たるにてはあれ。


 祭りの終わりの日暮れには、所狭しと並んでいた車も人も、どこへか消え去ってまばらになり、帰りを急ぐ辺りの騒がしさもおさまって、色々と片付けられてゆく。次第にもの寂しげになってゆく様子を見て、まさにこの世の無常を思い知り、もののあわれを感じるのだ。このような大路の様子を見てこそ、祭を見たということなのである。
 兼好は以上のように言うわけだが、これは先にも述べた「何ごとかが行われ、それが去ったあとの舞台」を見つめるということでもあろう。そして(行列が過ぎていったあとの)大路の様子を見ることが「祭り」を見たということであり、つまり「祭りのあと」を見つめることこそ「祭り」を見たということになるのである。
 花火が打ち上がっている最中ではなく、すべてが終わって煙だけが立ちこめる夜空への己のまなざしだけが取りのこされながら、もう花火が打ち上がらないこと、はかない幻であったかのように再び現れないこと、すべてが無常の彼方に消え去ってしまったことを痛感するときにこそ、深い余韻とともに人は永遠性に触れているのだ。(R)

2010年10月17日

失われた祭りをもとめて〜終焉を廻るまなざし(弐)

★カーニバルとフェスティバル

 「祭り」にはカーニバルとフェスティバルという二つの側面がある。厳密に使い分けられているわけでもないが、たとえば博覧会や文化祭は観る側にとっては受動的に享受するもので、そうした祭りはフェスティバルである。それに対してカーニバルとは盆踊りのようにみずから祭りの渦中に運動するありようである。「アフター・カーニバル」とはだからその意味では、みずから「祭り」を経験した者に訪れる特権的な時間性のようにも思える。だが必ずしもその限りではないように思うのだ。より本質的に「アフター・カーニバル」であるとは、いったいどういうことなのだろうかと問うてみる必要がありそうだ。
 
 ところで森鴎外は『百物語』でみずからを「傍観者」と位置づけた。

 
僕は生まれながらの傍観者である。子供に交って遊んだ初から大人になって社交上尊卑種々の集会に出て行くようになった後まで、どんなに感興の湧き立った時も、僕はその渦巻に身を投じて、心から楽んだことがない。僕は人生の活劇の舞台にいたことはあっても、役らしい役をしたことがない。高がスタチストなのである。さて舞台に上らない時は、魚が水に住むように、傍観者が傍観者の境に安んじているのだから、僕はその時尤もその所を得ているのである。


 では「傍観者」という立場はフェスティバル的なのかといえば、むしろ常にカーニバルからはじき出されてしまうような存在のありようではないかと思う。カーニバルの渦中にありながら、あるいはカーニバルを希求しながら常にすでに「祭りのあと」を生きざるをえない者のことだと思えるのだ。現代において、われわれは否応なくありとあらゆる「祭りのあと」を生きていかざるを得ない。かつて自分が渦中によく参加した「祭りのあと」と、常にすでに傍観していた「祭りのあと」と、色々重なる部分とそうでない部分とあるにせよ、「アフター・カーニバル」を生きる困難さに変わりはない。だが後者の方により現在的な「祭りのあと」の問題を感じざるをえない。そうした問題意識が村上春樹の抱えてきた「デタッチメント」という視座と重なりうるものであることは、すでにこのブログ上でもたびたび確認してきたところである。
 「浅野いにお『ソラニン』〜ムスタングが奏でる<祭りのあと>」という記事で、浅野いにおは「祭りのあと」を描く作家だと書いた。現代に生きるわれわれは「祭りのあと」とどのように付き合うのか。「祭り」をいかに終らせ、それと訣別して生きていくのかという命題を胚胎した作家だと。作中で芽依子は恋人の種田が死ぬまでは「傍観者」的であったとも言える。だがそれでも彼女は、みずからに内面化されていた「祭り」=「種田と生きていく人生」を、種田の歌を引き継いで歌うことで剔抉してみせたとき、そこにおのずから幕が引かれたように思う。

 いずれにせよ、われわれが「祭りのあと」という散文的な時間を生きるということは、祭りを渇望すること、殊に「失われた祭りを求めること」と、そうではなく「祭りのあと」に耐えることという二律背反を抱えて生きることであり、われわれはなお後者の方へ歩み出さねばならないだろう。そうして「祭りのあと」はさらにそのあとをも生み続け、時間の無限後退感を引き起こす。時間は前に進むものなのに「未来が近づいてくる」のではなく、逆向きに座った列車のように「過去が遠ざかってゆく」と感じられるのだ。(R)
※参考記事「祭りのあとを生きてゆくために〜青春小説としての『戦争の法』「村上春樹覚え書〜『ねじまき鳥クロニクル』解読のために」

2010年10月16日

失われた祭りをもとめて〜終焉を廻るまなざし(壱)

★「舞台」へのまなざし

 「宴のあとに人生は始まる」というのがこのブログに掲げられているひとつの命題である。マクベスの一節に「人生は歩きまわる影、哀れな役者、出番の間は舞台の上をのし歩き、わめき散らすが、その後はもう、音ひとつせぬ」というのがある。こうした吐露に身を浸してみようというのが今回の趣旨である。

 たとえば能では、何事かを終えて去ってゆくシテ(主役)の退場時間というのがある。今の今まで音楽とともに謡いあげたり舞ったりと動性にみちていた舞台に、音のないまったくの空白時間が訪れる。とくに夢幻能と呼ばれる能では、シテが亡霊という夢幻の存在でありこの世の者ではない。この世の者ではない何ものかが舞台の上では現にわれわれの眼前で現象しているのであり、それをわれわれは見届けるのだ。
 ありし日の姿や思いをありのままに弔われて、亡霊はこの世から再び姿を消す。しかし当然シテの役者じたいは舞台に居残る。そして舞台が終了するのはシテが退場し終わってからである。ということは今まで亡霊であったシテが、舞台からあの世とこの世を繋ぐ(じっさいには本舞台と控えである鏡の間を繋ぐ)橋掛りを通って見えなくなるまで遠ざかるのを見届ける時間があるということだ。
 そもそも舞台劇というのはひとつの「場」に現出するドラマを目撃するものだ。そして終幕するときには、そこに現れた事象も人物たちもすべて一夜の夢のごとく消えていく。最後に残るのはいつも「舞台=場」そのものである。われわれ観劇者はいつもその終わりの瞬間を見届けて引き受ける存在である。
 それはあたかも公園を定点観測するようなものかもしれない。早朝には犬を連れた老人がそぞろ歩き、昼には子供連れの母親たちが泰平で退屈な会話に興じ、午後には小学生の群れが児戯にいそしみ、夕暮れにはカップルが互いの視線を確認しあう。そして誰もいなくなった真夜中、公園は今日という様々なドラマをみずから沈思黙考する。
 夕暮れの公園や下校後の校庭、そしてはねた後の舞台には、そうした「ドラマ」や「祝祭的なるもの」の地となる「時間」=「祭りのあと」を喚起させるものがある。

★ラストショットのまなざし

 映画のラストショットについて考えてみる。まず一般的によく使われるものに、舞台全体を俯瞰して終わるという方法がある。最近だと『チェンジリング』がそうだった。
 それに対して地上の舞台から空などの遠望ショットへとチルトアップする手法などもある。そのとき舞台は消失するか、舞台としての枠を超えてより大きな全体性へと融解してしまう。これによって映画作品内の事象は抽象化されて昇華してゆくだろう。実質を持たない抽象画面としての「空」のショットによって、描かれた「現実」はとたんに重力をなくす。ということは「舞台」が無重力化するということでもある。この場合、観た者において「祭りのあと」が余韻として持続するということはあり得る。しかし、それが作品内において前景化することはない。
 「祭りのあと」がそれじたいとしてまなざされるためには、出来事が起きてかつ過ぎ去る現場そのものを観測していなければならない。登場人物が去ってゆく。それをカメラが追い続けるのでなく、去った「場」が映しだされるということである。いうまでもないが舞台劇と異なり、映画でのわれわれの視線はカメラそのものと一致するからである。「ドラマ」が終わってもなお、そのあとの「時間―空間」を見つめること。そこが「何かのあと」であることを見つめること。それこそが「祭りのあと」を問うラストショットなのだと思うのである。
 少し近いなと感じたのが『星に願いを』という竹内結子主演の邦画だ。この映画じたいは純愛ブームの流れに乗っかったような他愛のないものだが、ラストで例によってヒロインの恋人が天に召されたあと、その星空をひたすら見上げつづけるヒロインの背中(バックショット)がまなざされている・・・ように見える。ここでは喪失それじたいよりも、喪失後の時間をかみしめるヒロインの背中に(明確な言及性はないものの)スポットライトが当てられているのである。それは『さようならドラえもん』の最後で、ドラえもんが22世紀の未来に帰ったあと、自室でひとり膝を抱えてうずくまるのび太の光景を思い出させる。

 より自覚的なのは『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大作戦』である。ここではヒロインである姫が経験した悲劇の、その後のため息が描かれている。いったい誰が悲劇のヒロインの、物語終了後のため息を描きえただろうか。そういう意味でこの作品には衝撃を受けた。かつてアメコミの物語前夜を描いたと言える『アンブレイカブル』にも驚愕したことがあるが、こちらのほうが心動かされるものがあった。もちろん誰もが感動するだろう、例の円環構造もすばらしいと思う。この作品における「祭りのあと」の描かれ方は円環構造の中で螺旋的に深められている。映画時間においては、姫のため息はすべてのドラマの始まる前、冒頭のプロローグ(野原しんのすけの夢と重なっていく)に置かれている。もちろんこのため息はラストで姫と野原一行が永遠の別れを交わしたそのあとのものである。「これからもここに来てお前達を想う」という姫は、じっさいにその池のほとりに来ては、草を摘んだりしてひとり物思いに耽る。愛しい人はもうこの世におらず、かけがえのない仲間であった野原家ももういない。ひとり取りのこされた時間をそこで過ごし、ため息をつくのである。その場所こそはるか後代に野原家の建つ場所でもあるわけで、すなわち姫のため息が野原しんのすけの夢へと繋がる所以でもあるが、問題はそのシーンから物語が始められたということである。物語のその後から物語が語られ出すというのは異様である。当然これは時間軸ではなく映画構造としての円環ということになる。姫のため息の夢は時代としては過去だが、物語の時間軸としては未来の出来事であり、まさに「バックトゥザフューチャー」的なパラドックスを持っているのである。
 ちなみにエンディングでは、死んだ侍の旗印とよく似た雲が浮かんだ青空のショットと、それを現代に帰ってきて見上げる野原家の顔の俯瞰ショットと、同じく野原家と別れたあと過去で上空を見上げている姫の顔の俯瞰ショットが順に並べられている。ここで姫が野原家が見ているのと同じ雲を見ているという保証はない。いわゆるモンタージュによってそう納得させられるだけだ。だがそれは冒頭ですでに明かされている。物語はラストカットで姫が空を見上げている、その同じ立姿から始まるからだ。そしてそこには例の雲がやはり青空に浮かんでいるわけである。
 しかしそのような符合性じたいが重要なのではなく、この作品が感動的なのはそうした手続きによって円環的に構築された物語時間が結局のところ、失われた「祭りのあと」を際やかにまなざしえているという事実によってなのである。(R)

2008年04月29日

アフター・カーニバルの「これまで」と「これから」――現代日本のリアルを求めて

 アフター・カーニバルでは、その名が示すように、以前から、祭りと祭りの後とを問題にしている。この二つの言葉が何を意味しているのかということについて、これらの言葉の内実について、ここで、ちょっと整理してみたい。

 村上春樹は祭りの後を描いた作家だ、あるいは、描こうと試みている作家だ、ということが、アフター・カーニバルでは、今まで、しばしば語られてきた。そして、村上春樹に関して問題となっている祭りというものに具体的な日付を与えてみれば、それは、60年代後半の学生運動の喧騒に、もっと限定すれば、70年安保闘争に帰着させることができるだろう(例えば『ノルウェイの森』で描かれているように)。

 しかしながら、われわれアフター・カーニバルのメンバーにとっては、60年代から70年代にかけての話は、直接的な経験のない出来事である。われわれにとっての祭りとは、80年代、90年代、そして、ゼロ年代に位置づけることができるが、しかしながら、いったい、われわれにとって何が祭りであったのかということには、メンバーの間での共通了解はない。それは、80年代のことかも知れないし、高校生活や大学生活のことかも知れない。R氏は「青春」という言葉を使っているが、しかし、この言葉が具体的に何をイメージさせるのかはそれぞれのメンバーにとって異なることだろう。

 だが、われわれにとって重要なのは、学生運動のような共通体験としての祭りではなく、おそらく、何らかの形で、それぞれに、何かが終わってしまったという断念の感覚が共有されているということである。何かが終わってしまい、それを回復することができない。こうした感覚をわれわれは祭りの後と呼んでいるのである。

 春樹の初期の作品においては、祭りと祭りの後とは、鼠と「僕」という二人の登場人物の対比によって提示されている。鼠というのは、言ってみれば、祭りの後を生きられない人間である。『風の歌を聴け』で鼠はこう語っている。「だけどさ、時が来ればみんな自分の持ち場に戻っていく。俺だけは戻る場所がなかったんだ。椅子取りゲームみたいなもんだよ」。それに対して、視点人物である「僕」のほうは、祭りに直接参加することなく、祭りから常に距離を取っている人間であると言える。『羊をめぐる冒険』の冒頭、「僕」は、三島由紀夫が市ヶ谷駐屯地に乱入し割腹自殺した出来事を報じるテレビ報道にまったく何の興味も示さない。「ヴォリュームが故障していたせいで、音声は殆んど聞きとれなかったが、どちらにしてもそれは我々にとってどうでもいいことだった」。「どうでもいい」と言いながらも、この章のタイトルが「1970/11/25」になっていることは注目に値するだろう。つまり、三島由紀夫が死んだこの日もまた、ひとつの祭りの終わりを印づける日と言えるかも知れないが、そのことは、「僕」にとっては「どうでもいいこと」なのである。こうしたところに、春樹の一人称「僕」のハードボイルド的な態度(何かに感情的に積極的に関わろうとしない)を見ることができるかも知れないが、さらに言えば、「僕」は、それ以前に、すでに、祭りの後を生きていたというふうに言えるかも知れない。何らかの喪失感を抱えているという点で言えば、「僕」は、常に、祭りの後を生きている人間であると言える(初期作品で随所にほのめかされているのは恋人である女性の自殺である)。

 こうした鼠と「僕」との関係に似た関係は、R氏が指摘したように(「祭りのあとを生きてゆくために〜青春小説としての『戦争の法』」)、フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』では、ギャツビーとニックとの関係に、佐藤亜紀の『戦争の法』では、千秋とたかしとの関係に、それぞれ見出すことができるだろう。そして、これもまた、R氏が指摘していることだが(「佐藤亜紀『戦争の法』〜物語ることの不可能性」)、これら二人の登場人物の関係は対等なものではなく、片方が片方のことを懐古的に物語るという構図になっている。こうした懐古的な視点が、まさに、祭りの後という事後性を際立たせることになるのである。

 祭りの後を生きるとは、いったい、どういうことだろうか? それは、喪失を抱えながら生きるということ、『戦争の法』のたかしのように、傷を抱えながら生きるということである(「結局の所、誰しも跛を引きながら歩くものなのだ」)。そこには何か不可逆的なものがある。取り返しのつかないものがある。そうした点では、祭りが終わったあとに、再び祭りが起きることを望むことは、喪失したものを取り戻そうとする試み、不可逆的なものを可逆的なものにしようとする試みであり、そうすることが果たして良いことなのかどうか、という問題がここに生じる。

 村上龍もまた、祭りの後を生きる人間を描いた作家であるだろうが、同時にまた、それ以上に、祭りの最中を生きている人間を描くことを好む作家であると言える。この点で、村上龍の試みとは、絶えず祭りをしつづけること、祭りの火を絶やさないことであるだろう。『限りなく透明に近いブルー』の「あとがき」に村上龍はこう書く。「こんな小説を書いたからって、俺が変わっちゃってるだろうと思わないでくれ。俺はあの頃と変わってないから」。しかし、決定的な変化があるからこそ、彼はこう書くのではないのか? 決定的な変化があるからこそ小説が書かれるのであり、小説が書かれることによって、失われた祭りの火が、懐古的な形で、再び燃え上がるのである。

 これとは逆に、村上春樹の倫理とは、祭りの火を再び掻き立てないところにあるだろう。つまり、失われたものを失われたままにしておくこと。徹底的に喪に服するのである。タルコフスキーの映画『惑星ソラリス』で描かれるソラリスという名の惑星は、登場人物たちが失ってしまったものを回復させる力を持つ。その結果、主人公の死んだ妻がソラリスの下では蘇る。このことに対して、主人公は「恥」という言葉を使う。主人公の先任者である研修者が自殺してしまったのは恥の意識からだった、と言うのである。つまり、失われたものが回復することには、何か決定的に間違ったものがあるということである。

 それゆえ、「あの素晴らしい愛よ、もう一度」と言うことは間違っている。もしそんなことを言わざるをえないとすれば、そこにおいては、何かが決定的に失われているということである。この点で、春樹の小説に描かれる再会とは、失われたものが取り戻されるということではなく、その喪失を決定づけるということ、回復の可能性を決定的に断念することである。『1973年のピンボール』では、主人公の「僕」がピンボール(これは過去の記憶の象徴であり、同時に、失われたものの象徴であるだろう)との再会を果たし、別れの挨拶を交わしたあとに、こう書かれてある。「僕は後を振り向かなかった。一度も振り向かなかった」。

 宮台真司の「終わりなき日常を生きろ」という言葉も、まさに、同様のメッセージとして理解することができるだろう。祭りの後の世界とは、まさに、終わりなき日常の世界である。宮台真司がこの本の中で否定するのは、日常生活を終わらせる非日常的な出来事、オウムが待望していたような終末、ハルマゲドンである。

 まさに、ノストラダムスが日本で果たしていた機能とは、このような終末の可能性を示唆することだろう。その点で、ある種の終末への期待は、70年代から存在していたわけであり(五島勉の『ノストラダムスの大予言』が出版されたのは1973年)、90年代にそうした終末感は、サブカルチャーの領域で、様々な物語を生み、その帰結のひとつが、『新世紀エヴァンゲリオン』や『最終兵器彼女』のような、いわゆるセカイ系作品であるだろう。しかしながら、1999年、そして、2000年と何も起こることなく、そして、21世紀を無事に迎えてしまったことは、まさに、終末の終わりであり、こうした断念は、岩井俊二の映画『リリイ・シュシュのすべて』に描かれているように、鬱屈した気分を醸成することになるだろう(この映画には、郊外化の問題や、酒鬼薔薇聖斗によって顕在化した少年犯罪の問題など、90年代からゼロ年代にかけての問題が散見される)。

 こうした鬱屈した気分が、今日においては、赤木智弘のような人物の出現を招いたと言える。赤木智弘に対して、「終わりなき日常を生きろ」と言うことは、何の希望もない、「屈辱」に満ちた日常生活を送るように彼に強いることであり、それは、非常に耐えがたいことであるだろう。だからこそ、彼は、戦争を待望し、この日常生活を終わらせようとする。彼にとっての喪失体験とは、就職氷河期の傷であり、この傷は、「経済成長世代」との比較によって際立たせられる。赤木は「バブルよ、もう一度」というふうには言わない。そうしたことが起こりうるとは、もはや信じられないのだろう。それゆえ、後に残された可能性とは、われわれが現在抱いている不安にひとつの形を与える「戦争」であり、戦争によってもたらされる(とされる)流動性である。その結果、「丸山真男」をもう一度ひっぱたくことができる、というわけである。

 「戦争を知らない子供たち」という歌があるが、この歌がヒットしたのは1970年頃である。それから30年以上も経っているわけだが、われわれにとって、戦争の記憶の質が変化したことは間違いないだろう。太平洋戦争についての語り直しが、現在、様々な場所で起きている。このことのひとつの原因は、戦争を直接経験した人たちが次々と亡くなっているからであるだろう。戦争体験のある人たちがすべていなくなったら、あの戦争は、「戦争を知らない子供たち」だけによって語られなければならない。それは当然のことであるが、しかし、だからこそ、そこには、歴史化の問題が、体験を単なる体験に留めておくのではなく、それを歴史化する必要があるわけだが、それが十分になされているとはとても思えない。戦争体験者の記録はたくさん残っていることだろう。しかしながら、その記録をどう読むか、それをどう解釈するか、そうした問題が生じてくる。語りの問題、記憶の問題、解釈の問題。こうした一連の問題が、春樹の『ねじまき鳥クロニクル』では、ファンタジックな方法によって、提起されていると言える。

 例えば、『男たちの大和』と『ゆきゆきて、神軍』という二つの映画を比べてみよう。両方とも、戦争を扱った映画である。しかし、同じ戦争を扱いながらも、その扱い方は、まったく異なっている。両作品とも、ある種、戦争をどのように語り継いでいくべきか、という問題を提起している作品だと言える。『男たちの大和』では、戦後いくぶん軽んじられたと言える兵士たちの地位についての復権要求がなされている。そこで描かれているのは、日本を守るために、ある種の郷土愛のために死んでいった兵士たちの姿である。片や、『ゆきゆきて、神軍』で問題になっているのは、戦争に関して語られなかったことを無理にでも語らせようとする強引な試みである。戦争に関わる古い傷。隠蔽された記憶。そうした古傷を白日の下にさらそうとする奥崎謙三の試みがここには描かれている。この二つの映画のどちらが本当なのかということが問題なのではない。フィクションかドキュメンタリーかが問題ではない。郷土愛のために勇敢に戦った兵士もいるだろうし、利己的な目的のために仲間を殺した兵士もいることだろう。すでに何度も語られていることもあるし、未だに語られていないこともあるだろう。重要なことは、戦争に関わるそうしたディテールを無視しないことである。ディテールを無視して物語化をしてしまうと、そこに立ち現われるのは、単純な戯画でしかないことだろう。そうした点では、やはり、われわれの感性にとって心地よい、美しい物語には警戒すべきだろう。

 われわれにとってのリアルとは何か、ということが今問われているのかも知れない。アフター・カーニバルでは、常に、われわれにとって真にリアルな物語とは何かということを問うてきた。その点で、われわれは、常に、新しい作品に目を配り、それを批評の対象にしてきた。それもこれも、いったい、われわれが生きて生活を送っている現代の日本というのは、どのような時代であり、どのような場所なのかということを問うているからである。こうした問いはすべて、自分とは何者なのかという単純な問いに集約されることだろう。村上春樹はわれわれにとってリアルな作家である、というのが、アフター・カーニバルの出発点のひとつである。そのリアルさをどのような言葉で表現すればいいのか? これが現在の課題であると言えるだろう。(SIZ)

2007年08月20日

事の顛末

(この記事は2004年2月20日に書かれました)

 一月くらい前のことだったと思う。R氏と電話でとりとめもない話をしていて、何でそういう話になったのかは忘れたが、ぼくは

「そろそろ世に問うべき時が来たのではないか」

と言った。いつまでも野に伏しているべきではない、うってでるべきではないか、と。

 そもそも何を問うかという重要な点が抜けているし、それ以上にうってでる前に論文を出すことを考えるべきなのだが、正直に言って、論文のことを考えると本気でヘコむことになるので、そこは何というかあれだ、うんいろいろまあそういうことにして、じゃあうってでよう、ということになった。

 我々は文学系の人間なので、文章を書くことで世に問うていこうということはあっさり合意に至ったわけであるが、では、そのための「場」をどこに求めるかというのが、ひとまずの問題として我々の前に立ちはだかってきたのである。

 文章で世に問うとして、そのための方法はすぐに思いつく限りで三つある。

 まずひとつは懸賞論文などに応募して商業誌デビューするという方法だが、これはもちろん無理である。そんなことが出来るくらいなら、こんなところでくすぶってはいない。

 ふたつめは同人誌をつくるという方法。昨今では販売するための会場や印刷・製本を請け負う業者など、比較的安い金額と軽い手間暇で容易に出来そうではあるのだが、それでもそんな金と暇があれば、やはりこんなところでくすぶってはいない。これもだめである。

 のこるはインターネットでホームページを開設するという方法であった。これは無料で開設することができるし、書き込むのも暇な時にやればいいので、楽なものである。

「ホームページでも作りたいね」とぼくは言った。

「ホームページか」とR氏も言った。

 ぼくは基本的に無責任な人間なので、うってでるも何も、言うだけ言ってその後何もせず、うちの犬とタメ張れるくらいに怠惰な生活を送っていたのだが、このあいだになってR氏から電話があったのである。

「つくってみた」

 大した行動力である。

 そんなわけで、after-carnivalはその真価が問われることになったわけである。


 とは言え、ぼくは本気でうってでようなどとはさらさら思っていないへたれなので、after-carnivalのメンバー数人と、多少の知り合いに見てもらうくらいの細々としたホームページにしようと思っていたのですが。

 それがどうでしょう。Logを見たら現在379HITですよ。そりゃあ世間的にみりゃあ300HITなんざあ屁みたいなもんでしょうが、ぼくにとっては結構大事件です。延べ数とは言え379って言ったらぼくの高校の一学年の人数より多いんですよ。どうやら全部ぼくとR氏のアクセス数というわけでも無さそうだし。いやあ、電脳世界ってすごいなあ。この分じゃあ1000HIT行くのもそんなに遠い日のことでは無さそうです。1000人っていったら、ヘルム峡谷で1万強のオークの軍勢を撃退したローハンの騎士たちに匹敵する数ですよ。大変なことです。

 これはもう冥王サウロンを倒しに行くしかありませんね。(A.I.)

「祭りのあと」を生きるすべての者たちへ

(この記事は2004年6月20日に書かれました)

 大学院に入って数年が経ち、厳密にはいまだに学生という身分だが、僕は学部の四年を卒業したときに、もう自分の学生時代は終わったのだと痛感した。学生という身分がではない。それは小学校から16年間続いた学生という「時代」の終焉であり、ひとつの「祭り」が終わったのだということであった。この宴は振り返ればそれなりに色々あったのだった。だから周囲の者たちが校舎を離れ、学生時代に訣別して次のステップへ踏み出していくなか、ただ独り今もって同じ場所に通い、そこに存在理由を置いてしまっている自分を見つめることは苦痛なことだった。あたかもそれは、すべての友人に先立たれて一人残された老人の心境のようでもあり、また華やかな祭りが行われた公園で、みんなが帰った後も一人佇んでいるような光景なのである。要するに「祭りのあと」を生きているのである。

 実際にはその後にも多くのかけがえない「祭り」を経験し、また「祭りのあと」の寂しさに耐えられず生み出そうともするのだが、問題は一度決定的な終焉を痛感し、すでに「祭りのあと」を生きる者の心性になってしまっているということなのである。その心性とは、何かを見る眼が常に回想の時制であるということである。過去への眼差しであり喪失感や懐かしさといったものへの目線であり、翻って現在の手触りが過去のそれから引き続いてあることの痛切さがあるのである。それは単なる「喪失感」や「ノスタルジー」とは少し距離があって、その眼は単純に過去へ向けられているというよりも、むしろ現在への目線が過去の時制に束縛されているという事態なのである。

 一般に何かが過ぎ去ったあとの情緒を喩えて「祭りのあと」「夢のあと」といった形容をするが、「いま」を「いま」(何ごとかのさなか)として捉えるよりも、「いま」が何かの「あと」であるという認識感覚がそこにはある。その過去の「何か」がプラスのことであれマイナスのことであれ、ともかくも自己にとって劇なる絶対値をもつ「何か」の、その「あと」であることが「いま」の基調的な手触りになっているのである。そして「祭りのあと」を生きる者は、自らが生きてきた「何か」のその「あと」の名残りを生きているのであり、その「生き残っている」ことの痛切さを抱きしめようとして狂おしくなっているのである。(R)

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。