2010年12月21日

失われた祭りをもとめて〜日常性への着陸

 宮台真司は『終わりなき日常を生きろ オウム完全克服マニュアル』で、80年代前半に主流だった終末観を分析して、それは女の子を中心とした「終わらない日常」という終末観だったとしている。「輝かしい進歩」も「おぞましい破滅」もない、学校的な日常性のなかで永遠に戯れつづけることだと。高橋留美子のコメディーマンガ『うる星やつら』に代表されるような、ご町内で延々と繰り広げられる日常的なドタバタ劇の流行は、同人誌におけるパロディ作品においてもスタンダードであったと。
 いうまでもなく「学校的日常」はじっさいには終わりが来るものであり、主にサブカルを中心とした文化領域ないし精神風土において、それをまさに終わらないものであるかのように取り扱ってきたところに「終わり」の忌避と隠蔽という事態は淵源している。それが終わらないというかぎりにおいて「学校的日常」は「祭り」として機能するし、一種のパラダイス=非日常でありつづける。サブカルチャーという消費物における「終わらない日常との戯れ」という処方の選択が、むしろ「終わりなき非日常」に貪欲であることを増進させたのである。
 大澤真幸が指摘したように、近年の「昭和ノスタルジー」趣味の隆盛が、時に臆面もなく礼賛や美化をもって迎えられるのも、「昭和」という「祭り」のその後である現在においては、人々に見失われてしまった「希望の目線」が、まだあった時代への憧れに由来しているだろう。しかし言うまでもなく、「昭和」も「高度経済成長期」もその頃の「夢」も終わったのだ。終わっていないのは、人々のなかにある残像としての栄光の影である。

 『不可能性の時代』で大澤真幸は、「戦後の精神史は、『理想の時代』から『虚構の時代』へと転換してきており、オウム真理教事件は、『虚構の時代』の限界・終焉を徴づける出来事ではないか」と述べ、「『虚構の時代の後』が、つまり現在が、どのような時代なのか」という論題に取り組んでいる。ここでは大澤の議論に沿っていくことにする。大澤は東浩紀の『ゲーム的リアリズムの誕生』の論述を下敷きにしながら以下のような直感を述べる。

 (オタクたちを生み出した)現代社会は、終わることの困難に直面し、もがいているのではないかということ、これだ。ゲームや、ライトノベル、アニメの中で、「反復」という主題がやたらと反復されているのである。反復する時間の中に閉じこめられ、そこから抜け出すことができない、という主題が、作品横断的に、あまりにも頻繁に登場するのだ。ゲームにおいては、この反復を何とか切り抜け、真の終わりをもたらすことが、目標となる。つまり、終わらない、終わりたくても終わることができない、真の終わりを容易にもたらすことができない、このような困難に、われわれの社会は直面しているのではないか。(『不可能性の時代』)

 近年のそうした作品として押井守『スカイ・クロラ』や細田守『時をかける少女』などのアニメ、竜騎士07『ひぐらしのなく頃に』などのゲームが挙げられよう。どれも「夏」という季節が選択されていることじたい示唆的だが、『ひぐらしのなく頃に』はさらに「バッドエンド」によって繰り返される「夏祭り」を、(どのような正しい選択と決定によって)いかに終わらせるかという物語とも取れるものである。大澤は「反復からの脱出」というモチーフが現代のサブカルに頻出するのは、「終わることが容易ならざること」の端的な現れであるともいう。
 大澤は「選挙結果」の公式発表があるまで本当には「終わった気がしない」ことに着目し、そこから、「偶有性の感覚――他でもありえたのではないかという感覚」を克服し、「必然性の感覚――これでよいのだ、これしかなかったのだという実感」を得るためには、終わりの公式な宣言が必要だとする。だが現代社会にはそうした公式宣言をしうる資格と権能を持った機能体系がもはや存在しないことで、「社会内のさまざまな領域で、さまざまな瞬間に、終わりが決定されなくてはならない」にもかかわらず、「決着を付けることに特別な困難を覚えている」というのである。またサブカル作品のパロディや二次創作物の蔓延も、そもそもの「正典」が「これ以外ありえない」という限界線を持ちえず、そうした「終わり」を宣言できないからだとする。
 現在「機動戦士ガンダム」シリーズが誕生からすでに30年を経て新たな「正史」を展開しているようだが、この「正史」の終了後もおそらくそうした限界線は引かれることがないだろう。またそうした公式宣言は、動画サイト「YOU TUBE」や匿名の巨大掲示板「2ch」におけるコメント「祭り」=話題・ネタの盛り上がりにも存在しないが、これらの「祭り」には比較的早い鎮静化が多く見られるのに対して、「ニコニコ動画」は「非同期ライブ」というシステムによって、ユーザーの任意でいつでもそこに「祭り」を見出すことができる。そうした点で「祭りのあと」の訪れが遅延的であるメディアとなっている。つまりやはり「終わりにくい」メディア空間と状況がそこにあると見て良い。「ニコニコ動画」がサブカル的文脈の上では「YOU TUBE」より優位に立てたのも、そのことが大きいであろう。
 いずれにせよ現代社会が「終わり」の厳然性を保てなくなったとき、われわれは必然的に「祭りのあと」を、「終わり」を隠蔽しながら生きてゆかざるをえない。そこでは「偶有性」の念が「後の祭り」としてつねに残り、「祭りのあと」を「祭りのあと」として引き受けることができないのである。

 大塚英志によれば、世紀末に自決した文芸批評家の江藤淳は、甘美な虚構ないし仮構に閉塞しようとする欺瞞を厳しく批判しまた拒否していたが、夫人に先立たれた孤独の時間を彼が耐えきれなかったのは、そうした潔癖さによるところがあるのではないかという。

 上手くはいえないんだけどそのままずるずるとだらしなく犬と暮らすようなところがあれば江藤淳は死ななかったんだろう、と思うと同時に、・・・・・・老犬と老いていくという人生はやはり江藤淳にはありえなかったのだろうなとも思う。(『江藤淳と少女フェミニズム的戦後 サブカルチャー文学論序章』)

 「そのままずるずるとだらしなく犬と暮らす」とはどのようなことか。大塚が「犬と暮らすセンチメンタリズム」というところのそれは、ある意味では江藤が忌避した「仮構」性(通俗的な物語)のうちに自閉するありようだが、言うなれば夫人亡きあとの「終わりなき日常」のだらりとした日常性そのもののなかに自足していく生き方でもあろう。大塚が言うように江藤はそれとは別種のセンチメンタリズムに崩れて自決したわけだが、それと対蹠的なサヴァイビングを見せたのが少女漫画家の大島弓子であったという。大島は独身を通しながらサバという愛猫と暮らしていたが、あるときサバについに先立たれてしまう。大塚は、サバに支えられているかのように見えた大島の世界がどうなってしまうのか心配だったものの、大島がエッセイマンガのなかで新しい飼い猫を、対話可能な人間の姿で描いていたサバとは異なり、ただの猫として描いていたことにほっとする。「その擬人化されていない猫の絵が大島弓子がサバの死を通して乗り越えたものが何だったかを物語っているように思えた」と。対する江藤は「犬をただありのままの犬として飼うこと」が受け入れられなかったというのである。漫画家である大島弓子はサバと訣別しえて、その生活の「終わり」を受け入れられたわけであり、逆に「仮構」を拒否していたはずの江藤が「犬をただありのままの犬として飼う」散文的な日常性に耐えかねたというある種の転倒性が見出されるのである。これは一見、先の宮台真司の議論に見られた「終わりなき日常との戯れ」が逆説的に可能にしたことのようにも思えるが、大島は「終わりなき非日常」を求めたのでなく、あくまでも「日常性」に軟着陸したのである。それは単なる個人の資質の問題なのかもしれないが、なおその理由が問われねばならないだろう。(R)
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2010年12月10日

「ニッコ」とさせる仕事〜海老蔵問題から思う役者の日常

 すぐそばの半島で緊迫した有事が続くなかで、こちらでは毎日のTVで非常にどうでもいい平和ボケした事件が取りざたされている。公人の有事における評価の激しい暴落ぶりは、良くも悪くも近年のドッグイヤー社会の特徴だろう。
 
 こうした事件の是非や真偽に対して、現時点で当事者でも関係者でもない者が口を挟む資格はないのであって、ことの真偽や是非に関しては何も言う気もないし興味もないが、ふと思い出したのは大昔の役者のことだ。
 そもそも、たとえば19世紀前半の天保年間に希代の千両役者として活躍した成田屋、七代目市川団十郎は教養人でもあった。表芸のみならず詩歌、骨董などにも通じていたという。が、思い出したのは能の完成者である世阿弥の言葉である。『申楽談儀』からだが、白州正子の意訳がいいのでそれをあげておこう。世阿弥が当節の役者の身の処し方について具体的に論評するくだりである。

 
・・・・・・他座の者と同席した時は注意が大切である。一緒にひかえているにしろ、席をはずすにしろ、その場の空気を察して動く必要がある。役者ともあろうものが、そのくらいの察しがつかないようでは話にならない。
 ・・・・・・小さな日常の行いこそ大切なのだ。この芸道は、礼楽二つの道にとれば「楽」である。人にたのしみを与えるのがつとめなのだから、舞台の上ばかりでなく、日常のことごとに心を配って、人と人との間柄を「ニッコ」とさせるのが我々の仕事なのである。


 「ニッコ」は原文でも「につこ」だ。
 まず身近な日常現場から空気を察して果断かつ的確に動けるよう準備し、心を十分に配ってゆくこと。こうしたことは芸道に携わる者ならずとも、常日頃から念頭に抱いていきたいものだ。

 佐藤浩市の父である三国連太郎が親鸞の歎異抄を繰り返し読み続けては書き写しているとか、緒方拳などもそうしたエピソードに事欠かなかったが、大事なのはそうした教養が前面に出てこないくらい役者は素手でいることである。
 そういう意味で先年ついに鬼籍に入った森繁久彌という大役者は、その内に深く豊かな淵を湛えていた。これもわりと有名な逸話だが、彼が贈った向田邦子の墓碑銘の言葉は老境などというものを超えて、彼岸の域に届いている。

 花開き 花香る 花こぼれ なお薫る

 真宗大谷派の僧侶であった金子大栄が般若心経の「色即是空 空即是色」を翻訳して「花びらは散っても花は散らない」としたのを個人的には、空海が(伝説上)「色即是空」を「色は匂へど散りぬるを」とした以上に腑に落ちる言葉として聞いたのだが、この森繁の言葉を知ったときは、それと同じくらいの衝撃を受けた。「かおる」の文字が繊細に使い分けられている。後者の「薫る」こそ、「散らない花」としての「空即是色」のありようだろう。そのような「花」といえばまた、世阿弥の「物数を極めて、工夫を尽して後、花の失せぬところを知るべし」という至言が想い合わされるのだが、森繁のすごいところはこれがおそらく素手で発せられた言葉のように感じられるところだ。現代の役者に、したり顔で生半可な「情報」にたよらずとも、生身の体験知で勝負できるような存在感を持てるような者が出てきてほしいと思う。そういえば近年の蒼井優はそうした雰囲気をやや感じさせている。ともかく「役者」になるとは「人間」になることだと思う。あるいは「人間」になることに有り金全部を賭けている人のことだと思う。(R)
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2010年11月24日

『ノルウェイの森』〜ジョニー・グリーンウッドの音響世界

 最近、映画『ノルウェイの森』のサントラを繰り返し聴いている。本当に素晴らしい出来だ。ジョニー・グリーンウッドは今まで『BODY SONG』とポール・トーマス・アンダーソンの『There Will Be Blood』の二作を手がけてきた。後者は高く評価されグラミー候補にもなったが、この『ノルウェイの森』が最も琴線に触れる傑作だと思う。つい先日の発売だったがマスタリング終了が先月というのが信じられない。いわゆる「完パケから3ヶ月」という流れはいよいよ崩されたのだろうか?

 ジョニーは登場人物たちが抱える「宙ぶらりんの状況」や「大人になれずにいる宙吊りの青春期」を表現しようとしたと発言している。精緻に組まれたオーケストレーションと和声はまさにそうした位相で鳴らされている。そこには、弦楽隊が鳴らすいびつで不穏なコード・ボイシングから静寂のなか薄明の光を感じさせるユニゾンへと揺らぎたゆたうような、孤独な物思いの世界が広がっている。

 RADIOHEADにしろジョニー自身にしろ日本贔屓とはいえ、このアルバムが曲タイトルも含めて総「日本仕様」というか、日本発のアイテムとして届けられていることが日本のファンとしては嬉しい限りだ。
 おまけに全部持っているとはいえCANが3曲も入っている。CANはいわゆる60〜70年代のジャーマン・プログレッシブ・ロック=通称「クラウト・ロック」においてFAUSTやNEU!と並び称されるバンドだ。現代ロックその他に与え続けている影響は計り知れないものがある。ある意味(奇跡的にこの映画の主題歌にも使用許可された)ビートルズ以上かもしれない。少なくとも僕自身はそうだ。
 収録された3曲はどれもA級作品ばかりで、個人的にはCANの中でも最も好きな曲の一つ「Mary, Mary, So Contrary」が入っていて浮かれてしまった。これらの楽曲は60年代末期を象徴する音楽としてビートルズの代りに使用されているようだ。
 
 オリジナル・スコアを担当したジョニー・グリーンウッドは言うまでもなく、金字塔となったアルバム『ok computer』以降、名実共に現代ロックの先端と頂点に君臨し続けているRADIOHEADのメンバーであり、豊富な音楽知識とロックの枠組みを問い直し押し広げる実験精神と、唯一無二の独創的なアイデアでサウンドのまさに中核を担ってきたマルチ・ミュージシャンである。独自の奏法でギターからギターでないもののような音響を出し、異様な音階でリフを編み上げ、オンド・マルトノやアナログ・シンセをエフェクティブに駆使し、フェンダー・ローズピアノやグロッケンで叙情的なカウンター・パートを紡ぎ出す。バンドは常に「現代ロック」とそのあり方を決定づけてきたゆえに、世界中の音楽家たちが注目し続けてきた。当然このサントラも各方面から注目されているわけである。

 僕自身にとっては村上春樹より重要な存在だが、いまや春樹もRADIOHEADと同じくらい世界的存在であって、その両者が出会って作品が生まれるというのは一つの事件だった。と同時にこの10年においては必然だったとも言える。春樹はエッセイでビョークとともにRADIOHEADを語り、『海辺のカフカ』には、日米でもチャート一位となり一躍一般にも愛聴者を増やした『kid A』を主人公のフェイバリットに出すようになった。だがそれ以前に、バンドのフロントマンで現代を生きのびているカリスマと言われる天才トム・ヨークが、おそらく日本の知人(雑誌スヌーザー編集長だったような気もする)の薦めで『ねじ巻鳥クロニクル』を読んで共感と感銘を受けたことが話題になっていた。まあ欧米圏の本屋の日本文学コーナーには春樹作品がどこも充実しているので、読書家のトムがガルシア・マルケスなどとともに愛読するようになるのも時間の問題だったかもしれない。
 そして確かにトムが『ねじ巻鳥クロニクル』を読んだと聞いた頃、RADIOHEADと春樹の時代に対する問題意識は近親性を持っていた。悪とは何か? 我々の精神を著しく圧迫する暴力性はどこからやってくるのか? 我々はそうした緊迫感をもって両者を受けとめたのである。

 映画本編については公開前だが、トラン・アン・ユンらしい映像美にこだわられた画面作りや美意識が感じられるものの、日本映画としての出来、そもそも村上春樹『ノルウェイの森』の映画化としては不安を感じている。クライマックスが直子との別離にワタナベが海辺で泣くシーンらしいが、それが文学ではない「映画」ゆえに成立するとしても、またこの映画の必須要件だったとしても、少々心配になってくる。
 春樹の初期作品をハードボイルド的と見る者や安手のセンチメンタリズムと批判する者など評価は分かれているが、それは単純な二項対立などではない。原作の雨後の竹の子族はセンチメンタリズムだけに流れていったようだが、『ノルウェイの森』じたいは自己の物語を物語る叙述に意識的であり、そこには「直子との別離」という出来事に対しての相対距離が測られている。視点は現在時制での記述でなく、過去時制の記述としてある。そのようなナラトロジーの問題が「文学」だけのものとは必ずしも思わない。(R)
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2010年11月09日

「さらば八月のうた 青春との訣別」劇団MOP解散ドキュメントを観て

 NHKドキュメンタリーだ。つかこうへい影響下でマキノノゾミが26年前に旗揚げした劇団の「青春の幕引き」の現場を追ったものだ。
 劇団員にはTV等に出演してるものもちらほらいるが、たいがい人生の軌道に上手く乗れていない、あるいは乗ろうとしてこなかった者たちだ。ほとんど人生に負けそうになってる者もいる。いわゆる普通の大人の社会生活をあまり歩んでこなかった者たちばかりなのである。40や50になろうかというときにいまだに続くバイト。不安定で困窮する生活。娘の将来を憂う親たちは結婚を強く迫る。それでも夢の為に。彼らにとっての「面白い時間」=「青春」のために。そう、演劇に身を捧げているのだ。
 「もう少しいいかな・・・」でここまで来てしまったのだという。「終わらせられなかった」というのが本音だと。しかし潮時だという想いはあって、それぞれの青春の終焉を迎えることになった。

 彼らは何を引きずってきたのだろうか。その拘りつづけた何かが残ったのだろうか。それは極めて微妙なものだ。
 かつてマキノとともに旗揚げをした看板役者は18年前に退団して去った。劇団員人生に先を見いだせず限界を感じたのだ。職に就き結婚して家庭を持った。そのことに後悔はなく演劇に未練はない。劇的じゃない普通の物語としての「実生活」にリアルを感じるようになったのだという。それは団員たちにはなかなか手にできない居場所である。
 何か村上春樹『風の歌を聴け』の最後を思い出す。「鼠」は相変わらず小説を書き続け、「あらゆるものは通りすぎる。誰にもそれを捉えることはできない。僕らはそんな風にして生きている」ことを思う「僕」は結婚して故郷を去ったのだった。
 残ったマキノは「やめて去った瞬間から過去になりすべては消える。何も残らない。演劇はやり続けていてこそなのだ」と言う。ということは、少なくとも劇団として走り続けることをやめる今、そこで引きずってきたもの=拘りつづけてきたものも、ある意味では消えるということだ。演劇人生は続くとしても。

 それでも、去ったかつての看板役者は最終公演を観て、走り続けてきた団員たちをまぶしく思う。自分と舞台上の彼らとの距離は遥かなものだと。そこにはとにもかくにも走り続けてきた者にしか見えない風景があると。(R)
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2010年11月08日

『白線流し』〜1996、1月〜3月の頃

 それはまだ911テロのなかった時代。セカイがまだ平板化し透明化する前のことだ。スピッツは『空も飛べるはず』で、そのセカイのことを「ゴミできらめく世界」と歌っていた。「ゴミ」のようなセカイであっても、そこにはある陰影が残っていた。「幼い微熱」や「隠したナイフ」といった言葉の、まさにあどけない微熱のような、ガラス細工のような危うい自己措定によって、自己とセカイを隔てていた。「色あせながら/ひび割れながら/輝くすべを求めて」いた。そこでは「色あせ」ることや「ひび割れ」ることがまだ出来たのだ。自分という現象が、色あせるだけの色彩も、ひび割れするだけの外殻も備えていたということだ。それは、すでにして色あせているし、輪郭の乏しいセカイではひび割れることすらできないというゼロ年代に出現した状況とどのように連続し断絶していたのだろうか。失われたとされる90年代。ともかくもそこには「ゴミできらめく世界が/僕たちを拒んでも/ずっとそばで笑っていて欲しい」と思えるような二人のセカイがあった。

 久しぶりにドラマ『白線流し』を全話見返してみた。このドラマをリアルタイムで見ていた頃、彼らと同じ高校生だった。つまり役者たちも含めて完全に同世代だったのだ。当時の話題となった青春群像劇だが、それぞれの心の機微を追う描写にわれわれのリアルタイム世代の共感を呼び、またたくまに世代を代表するドラマとなっていった。(どうでもいいが冒頭の電車内に出てくるYJの表紙が中森明菜なのはさすがにどうかと思った。事実それが表紙だったんだろうけど)

 「白線流し」とは卒業の儀式だが、そのタイトルからしても、「卒業」が最終的な焦点であることは明らかだ。やがて来る「別れ」が前提にあり、究極的にはそこへいたる過程としてすべてのドラマがある。主人公の園子がつぶやく「もう少しみんなで子供でいたかったな」という言葉は、彼女の立ち位置を明白に物語っている。最終話で、みんながそれぞれの列車に乗り込んで順次ばらばらに別れていく駅のシーン。園子は最後まで見送る人であり、取り残される人でありつづけた。そうした「別れ」を通して、彼女は自分の生き方を決める。「見送る人」という立場を引き受けて高校教師を目指すのである。
 当時、なんとなく自分が共感を持って見ていることを感じていたものの、何に共感していたのか多分気づいてなかったと思う。それは今となっては分からない。しかし今見返してみると、おそらくこうした、あっというまに時間が過ぎてゆき「取りのこされる感覚」への戸惑いだったと思う。

 ちなみに音楽の岩代太郎は、前年にアニメ『H2』の仕事で好きになったが、『白線流し』で稀にみる才能に一気に心奪われた。芸大作曲家の修士を首席で出るだけの繊細かつ知的であまりにも優秀なオーケストレーションがなければ『白線流し』は成立していなかっただろう。この時期の岩代は『フランダースの犬』や『ロマンシング・サガ3』のオーケストレーションで傑出した仕事を立て続けに生み出している。その旋律の処理はリズム面でも和声面でも、時にあたかもベートーヴェンのような「正解」の姿を見せて完璧な筆運びを感じさせたものだ。
 その『白線流し』のメインタイトルは今も高校の卒業式で使われている。答辞の時にバックで流れ出すとかなりぐっとくるのだ。(R)
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2010年11月01日

『30DAYS NIGHT』

 これこれ。これぞB級。いやー好きですよ。じわじわと味わい深くなるこの状況と絵柄。

 アラスカのアメリカ最北の居住区の街。今日から「極夜」に入り、30日間ずっと夜が続く。そこにあらわれる人々を恐怖の底に陥れる絶対的な存在者たち。陸の孤島とあまりにも絶望的な状況。

 「サイレントヒル」を思い出させる。まぁあっちのほうが色々と好みだけど、この常闇に吹雪が激しく荒れ狂う中、かすかに見え隠れする超越者の姿といったら。向こうの屋根の上や建物の陰に・・・。闇に茫洋と浮かぶ製油所の不穏なたたずまい。これはライティングが優れていると思う。アングルも真下を舐めるように俯瞰される殺戮シーンの光景は、こういうジャンルでは未見のものだし、出色の出来かなと。万人が面白いわけではない映画の典型。(R)
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2010年10月11日

『適切な世界の適切ならざる私』(文月悠光)

 若年ながら思潮社の詩誌に投稿し続け、16歳で現代詩手帖賞を受賞した文月悠光の処女詩集である。高校の美術部部長だったようだ。色や彩りに対する(殊に赤・紅)愛憎がうかがえたりもする。
 執拗に確認され続けるのは「適切ならざる私」であって、その「私」と「適切な世界」との距離である。瑞々しい精神の溌剌と誠実な自己凝視と丹念で慎重な表白がある詩集だと思う。いくつかはっとさせられた箇所を部分部分で抜書きしてみる。

 
(彩る意味を見いだせないこのからだ。
 「お前に色なんて似合わない」
 そう告げている教室のドアを"わかってる"と引き裂いて、焼けつくような紅
 を求めた。古いパレットを、確かめるように開いてみるけれど、何度見てもそ
 こには私しかいない。それは、雨の中でひっそりと服を脱ぐ少年の藍)
 ……
 あるとき、筆にさらわれて
 ぽっと街へ落とされたなら、
 風で膨らむスカートのように
 私は咲いてみせよう。
 (「落下水」)

 自分は風にのって流れていく木の葉か、
 でなければ、あんたが今
 くつの裏でかわいがった吸い殻ではないのか。
 存在なんてものにこだわっていたら、
 落ちていくよ。
 (「天井観測」)

 「恨まない、憎まない、デクノボー呼ばわりしない。ただ、私がここにいると
 いうことをけして忘れさせない。……私は"すべて"を覚えている。義務教育九年間、
 誰かが口にしてきたすずろごとの"すべて"を、今ここで吐き出そうか。それ
 とも、ひりりとした夜の意識下に連れこんで、焼けた氷を舐めさせようか」
 (「私は"すべて"を覚えている」)

 床の木目の合間から
 すっくと切り立つ。
 日が傾くにつれ、
 熱をさらっていく冷気に
 懸命だった私の頬。
 赤く染まることに
 思いをかけなければ
 生きてはおれない、
 そう夕日に迫られていた。
 ……
 されば、私は学校帰りに
 月までとばなくてはならない。
 爽やぐことを忘れた
 制服のすそを引っ張る。
 月気を帯びる今日だから
 夕焼けの色に、染まらぬように。
 (「"幼い"という病)

 たとえ、また心無い日常の底に引きずり込まれたとしても、その
 さだめをかかとで愛撫し、さらに上へ。……
 日常とロンドのはざまで、ことばとなって喘いでいたい。
 (「ロンド)


 ぶつ切りにしたので文脈が分からないと思うが、ここに投げだされた言葉たちの手触りは感じられると思う。日常の底に沈みかけるからだを持て余すかのように、何かに駆られ、何かを希求し、言葉を吸ってまた吐き出す。少女の内奥で揺らぐ言葉と衝迫の軌跡である。(R)
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2010年10月09日

『怪談人恋坂』

 夏前にメンバーのAI氏なんかと参加した文壇系のあるパーティーがあった。かつてお世話になっていた推理作家協会の重鎮の祝賀会だったが、そこには当然のようにその周辺の作家や批評家が一堂に会していた。いかにも目がくらまんばかりの顔ぶれであったが、列席するビッグネームの一人に赤川次郎氏がいた。前にTVなんかでよく見かけたが、それよりだいぶ恰幅が良かった。宮部みゆきと並んでいるとゆるキャラな絵本になりそうな気がしてくるから不思議だ。
 そんなわけで思い出したのが本作。赤川次郎は純粋なミステリだけでなく因習ものや怪奇を扱ったものも多く、身内の本棚にあったので少年の頃そうした作品を好んで読んだりした。本作も怪異譚としての物語が前面にあらわれてきている。
 さて今回は詳細な粗筋をすべて載せることにするのでネタバレ注意となる。この作家の場合、ぐいぐい引っ張られるように展開する物語性こそ小説の格(核)に関わることなのである。
 主人公に降りかかる悲劇の物語は、ある殺人の謎から始まる。

 郁子がその日学校から帰ると姉の裕美子が死んでいた。物心ついた時から姉は寝たきりだった。母からは病死だといわれるが、葬式の晩郁子は真実を伝える為に蘇った裕美子に姉と思っていた彼女こそ、自分の本当の母であること、裕美子は病死したのではないことを知らされる。

 ある日裕美子がほのかに想いを寄せていた家庭教師の梶原を、勉強を終えて家から送り出す際に、大学生の兄・圭介から「一旦家に帰る」と連絡が入った。母も出かけて居ない。その後裕美子が一人部屋で眠っていると何者かに乱暴される。そして裕美子は郁子を身ごもる。両親の無理解などから辛い立場に一人追いやられた裕美子は中絶できず、望まれずに生まれてきた郁子を自分だけでも見守って行こうと思う。誰にも愛されない自分の替わりに。しかし両親たちは、裕美子を騙して部屋に閉じ込め、その隙に郁子を、裕美子が拒否していた里子へ出そうとする。それでも部屋から抜け出し、辛うじて自宅前の坂で郁子を取り戻した裕美子は、雨に誤って坂道(人恋坂)を転げ落ち、全身麻痺になってしまう。裕美子はこの世に残した深い絶望や哀しみ恨みを郁子に伝え、復讐を誓わせる。
 それから7年、裕美子は自分自身も怨念となって次々と自分を苦しめた者達の前に現われ、かの真相を問い詰める。次第に、裕美子は全身麻痺で眠っている間に密かに喉を切られ、じわじわと死んでいったのだということが明らかになっていく。裕美子や郁子の周りの幾人もの人々が、それぞれの裏の秘密を垣間見せつつ物語は進む。郁子は母の死の真相と彼女を襲った犯人、つまり本当の父親を探ろうとする。
 そしてついに裕美子の叔母の告白によって全てが明らかになる。裕美子の亡霊に追いつめられた叔母は、今まで隠し通してきた事実の全部を語った。
 
 裕美子を襲ったのは圭介であった。圭介は、裕美子が父親が他の女に産ませた異母兄妹である事を知った翌日、裕美子に手を掛ける。圭介は既に金がらみで、父親の秘書を殺しているが、その事のショックで雨の中、人恋坂に飛び出していった妻を追いかけ追いつめ、妻をも事故ではあるが死なせてしまっていた。
 その後、裕美子は憎しみから解放され、本当の母親のもとへ成仏していく。裕美子の本当の母親もまた、父親の本妻(今の母親)によって追いつめられ、人恋坂で事故死していたのであった。
 さらに後日、郁子は裕美子の喉を密かにかっ切ったのが裕美子の家庭教師の梶原であった事を、梶原の妻によって聞かされる。梶原は裕美子を見舞いに行った際、裕美子の家から金を盗んだが裕美子に見つかってしまう。一旦帰りかけて引き返し、梶原は裕美子を殺す。だが逃げようとする所をちょうど帰ってきた家政婦に見られてしまい、逆に家政婦に強請られるようになる。梶原は何度か金を払った後、妻と一緒に家政婦を殺す。そして最後に郁子が見守る中、気の触れたその妻に人恋坂で梶原が殺され、物語は幕を閉じるのである。

 ・・・・・・うん、どってことないですね。あれれ? この粗筋がいかんのか?
 まぁそう言ってしまうと身も蓋もないが、裕美子がかわいそすぎるのでとりあえず鑑賞してみる。
 
 さて、読後この事件の忌まわしさ、不可解さは最後の最後まで拭い切れずに胸に残る。郁子は裕美子から真相を聞かされたとき、裕美子と同様に、襲った犯人と殺害した犯人は知らない。真相は周囲の人々の抱えている秘密や思惑と絡んで彼らに隠されているからだ。それが少しずつ明らかになる度に、この物語の忌まわしさや人のエゴの醜悪さが滲み出す。人間の脆弱さ、さらには生と死の哀感が浮かび上がる。そして全編に一貫するペーソス。
 後味の悪さは残る。しかし、裕美子は自分の母もまた同じ悲惨さにあっていながら誰をも恨むことなく、復讐しようともしていなかった事を知り、「憎しみ」よりも「愛すること」を選び取る。そしてラストで彼女が母の胸に抱かれに行くという一連のシーンがあることでわずかな光明が残され、読者はやっとこの物語を覆う、不吉さ辛さから幾らかは解放される。それまではひたすら、「なぜ自分だけがこんな悲惨な目にあわなければならないのか」という裕美子の思いと、そして「自分をこんなにも惨めに死なせた犯人を捜し出して、この手で復讐してやりたい」という怒りに圧倒される。あたかも殺人事件を調べるかのように徘徊する裕美子の亡霊の復讐心が、不気味に事件の真相をかぎまわるのを見守るしかない。その構造は、いわゆる「トリックありき」の本格推理とは種を異にしているが、はじめに「復讐心ありき」という性質を持っているこの物語には、そのことが逆に「真実」の推理、「事実」への肉薄に信憑性と迫真性を与えている。

 種々の愛憎を盛り込み、家族の崩壊を描くことで家族の意味を問い、母から子へ受け継がれる悲劇と宿命、父から息子へと繰り返される過失を描くことで、人の人生の不条理や人間存在の矮小さを映し出している。・・・ほんとか?

後味の悪さは残るが、しかし同時に妙にゆったりした、豊かな物語の味わいが広がる。胸の奥がだいぶ運動させられた後のような心地よい疲労感がある。心を濾過機にかけられた手応えの名残のようなものがある。昔話や民話の怪談物にはそうしたカタルシスを引き起こす作用があるように、どんなにおどろおどろしくまた悲惨であっても、それが人の、あるいは自分の「人生の悲痛」を公約数的に反映していればいるほど、胸の奥で替わりに渦巻いて各自の「苦しみ」を消化してくれる。ペーソスを(時にはユーモアをも)湛えた怪異譚ものが根強く残るのは、その所以によるところが大きいのだろう。(R)
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2010年10月06日

僕は雨上りの曇つた空の下の鉄橋のやうに生きてゐる〜中原中也「いのちの声」を聴く

僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果てた。
あの幸福な、お調子者のヂャズにもすつかり倦果てた。
僕は雨上りの曇つた空の下の鉄橋のやうに生きてゐる。
僕に押寄せてゐるものは、何時でもそれは寂漠だ。

僕はその寂漠の中にすつかり沈静してゐるわけでもない。
僕は何かを求めてゐる、絶えず何かを求めてゐる。
恐ろしく不動の形の中にだが、また恐ろしく憔れてゐる。
そのためにははや、食慾も性慾もあつてなきが如くでさへある。

しかし、それが何かは分らない、つひぞ分つたためしはない。
それが二つあるとは思へない、ただ一つであるとは思ふ。
しかしそれが何かは分らない、つひぞ分つたためしはない。
それに行き著く一か八かの方途さへ、すつかり分つたためしはない。

時に自分をからかふやうに、僕は自分に訊いてみるのだ。
それは女か? うまいものか? それは栄誉か?
すると心は叫ぶのだ、あれでもない、これでもない、あれでもないこれでもない!
それでは空の歌、朝、高空に、鳴響く空の歌とでもいふのであらうか?


ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事において文句はないのだ。

                   中原中也「いのちの声」より抜粋

 すべてに倦み、といって欲望の焦点の定まらぬままに焦れている。混乱していることは分かっているがその中身は見えない。永遠に名指せない悲しみに埋もれてただ叫んでいる。だからこそ希望は夕暮れにあるのだ。いや夕暮れにしかないのだ。

 あの夕陽に彩られてりゃいいじゃないか(by R 『物陰にて云う』)

 しかし、ことは万事において「身一点」となれるかという問題だ。それは、あれでもなくこれでもなく焦れているものが、なお夕暮れの寂寞につつまれながら、深く色濃く何か純粋にひとつのものとして縁取られてあることへの痛切なる希いの声なのだ。寂寞のなかにあって我々は、「風が立ち、浪が騒ぎ、無限のまへに腕を振る」しかないのだから。(R)
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2010年09月15日

J・S・BACHは職人か芸術家か?


 ここ最近のブログの一連の議論からは離れるのですが、関連した問題をさらに考えてみようと思います。

 タイトルに掲げた命題は結論から言うと、そのようなナンセンスな二者択一はバッハ像の精確な理解から遠ざかるものだと言えます。
 もちろんここで言う「職人」にしろ「芸術家」にしろ、バッハの時代における文脈の中で理解する必要があります。

 当時の「職業」とは、それがどんなものであれ、単なる生活労働などではなく神から与えられた使命でした。だからこそ、バッハは毎週の仕事に忙殺されながらも、一音一音祈りながら作曲していったという挿話に表れているように、授けられた才能の能うる限り「良心的」に受注仕事を献呈していたわけです。請け負った仕事に応じる形での、音楽的に最良の作品を作り続けたという意味では、まさに「職人」的と言えます。「芸術家」として地位を築こうという作曲姿勢からは程遠いわけです。言ってみれば『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』にあるような「職務遂行の精神」があったということかもしれません。バッハのこうした側面からは、創作がすなわち自己同一性の模索・希求であるといったような様相は見られないわけです。「職務」を離れた芸術創作やモチーフの探求、あるいは人生観の仮託などといったものは希薄です。

 ではバッハが単なる「仕事人」に止まる存在でしかなかったかと言えばそうでもありません。晩年のバッハが「職務」を離れてなお自分の音楽を「職人」として培った技量と鑑識をもって総決算しようとしていたことに鑑みれば、そこにおのずと「芸術家」としてのバッハ像をもうかがえるのです。もちろん「芸術家」と言っても、専門家が集う制度化されたコミュニティに参加したり、その偶像性を大衆に消費されたりといったようなモダンな「芸術家」像とは違います。ベートーヴェンはそうした「芸術家」だったかもしれませんが、バッハは神を中心とした同心円の共同体や社会を最後まで離れたわけではないからです。神を超えて自己の芸術業を営もうとしたわけでもありません。逆に言えば、むしろ神によって自己の存在理由が確保され続けていたことで、そうした「芸術的な営み」が可能であったという自明の逆説が読み取れるのです。
 
 ところで話は変わりますが、AKB48の作曲者は近年珍しいタイプと言えます。全て同一人物なのか分かりませんが、名前が一般的に無名だからです。過去10年以上、ヒットした現代アイドル・グループの作曲者・プロデューサーは小室哲哉でもつんくでも、良い悪いはともかく個性を持った「作家」でした。量産体制に入ると本当に本人が作ったのか疑わしいくらいの粗雑な楽曲も有りますが、おおむね作風には刻印があります。それに比べてAKB48の曲はどれも作家的な特徴に乏しいが、職人的に一定水準の仕事をし続けているという印象があります。とてつもなく良くできた曲でもないし、王道を外れない代わりに真新しい挑戦が見られるわけでもありませんが、アイドル・ポップスとしては常に一定の工夫が施され、才能も垣間見られます。中途半端に才能を有した「作家」が無頓着にそれを消費していくよりは、こうした「職人」のほうが幾らかましにも思えます。

 それに比べれば秋元康はまともな歌詞を書いているとはとうてい思えませんが、かつてまがりなりにも美空ひばりに「川の流れのように」を提供した作詞家なわけですから、本気で「詞」を書こうと思えばできなくはないでしょう。もちろんAKBに「川の流れのように」のような達観した境地を歌われても困るわけですから、あくまでGIRLS POPSとしての歌詞を作っているわけですが、それにしても中身のない記号の羅列になっているかのようで、ほとんどの人が歌詞を顧慮しません。そうした事態は少なくとも小室哲哉の頃にはアイドル歌謡の「常識」になっていたように、秋元もそもそも歌詞を歌詞として書くことを念頭から除外しているかのように見えます。それはそれで一つの戦略ですが、ただ秋元のそうしたAKB楽曲に対するぞんざいさは信用できない所があります。作品=商品に対してキャッチーであることケレン味のあること、つまりは「売れる」ことが第一義の目的になっているように見えるからです。あまりにもリスナー市場を低く見積もりすぎて、できる限り最良の商品に仕上げようという丁寧さに欠けている気がするのです。(R)
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2010年09月08日

ニヒリズムの徹底はいかにして可能か〜外在の否定ではなく内在する倫理に向かっていくこと


一連の問題に関して問題の糸口が見いだせなかったんですが、AI氏の第三者的整理によって何となく見通しが出てきてだいぶ書きやすくなったのでアップします。バッハの記事はバッハの格闘について書きたかっただけの書き殴りで、別の時に書いてた怪談記事の方が本旨だったんですが・・・。

日本ではいわゆる「武士道」というものが江戸期になって確立し、『葉隠』なんかで顕著なように、「主君」と「家臣」というのが、我々にとっての「神」と「子」にあたるかもしれません。むろん我々は武士ではないですが、現代に至るまでの様々な制度は、家父長制にしろ会社組織にしろそうした価値規範に基づいて形作られてきたわけですからその延長線上にあると見て良いでしょう。

ところで、前記事における「神」の捉え方ですが、たしかにどちらかというと単なる価値観としての絶対公準という規範性より、機能面での問題として、AI氏の言うように「いかに自己と自己格闘しうるか」かつ「いかに自己を滅私しうるか」という命題を保障し可能にするための根拠となるシステムのようなもの、ということでした。それは夏目漱石で言えば、個人が「自己本位」(人為)と「則天去私」(天然自然)とのあわいをせめぎ合うような格闘なわけですが、そのような激越な営みをしようと思わせる「源泉」について思い巡らすささやかな論考だったわけです。また神を媒介項とすることではじめて自己と、もっと言えば自己の有限さと真に向き合いうるということも問題にしたかったのだと思います。バッハにも外的な圧力はありました。締め切りはもちろん無理解な聴衆の耳とも闘わなければならなかった中で、それでも己の「私闘」を「誠実」に闘っていたわけです。有名な「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」も念頭にありましたが、これはあまり展開できなかったので触れませんでした。「職務遂行の精神」の由来についてでしたが。

ただ地理的な「地方」と実存的な「地方」性は、現代まで反響しうる問題として考えていました。今まで自分が「世界の中心」にいる気がしたことは一度もありませんが、世界の果てか片隅にいる気がしたことはよくあります。じっさい今日もありました。この一隅性をどう捉えるか、また現代ではこの「一隅」はある面では他の「一隅」と地続きではあります。ニコ動的制作環境では「一隅」から容易にパブリックへ行ける気がするからです。

ただしニコ動的な創造環境・新たな公共性と、近代的な創造プロセス・作家性とを二者択一させるような単純化された構図を布置することは性急だろうという感想を持っていて、たとえばある意味ではニコ動の中にも古来の職人性みたいなものもあるだろうし、職人としての「良心」というのも存在しうるでしょう。バッハにおいても「職人的良心」という面と、神に対する「個人」としての「良心」とが表裏一体に生きられているということに注目したかったわけです。

さて、「神」が死んで以来じつは「神の復権」はすでに起き(続け)ていると言えます。「神なき時代」にも、じっさいはそれぞれに正しいと主張される、まがい物の「神」(としか部外者には見えない)が跋扈しているわけです。坂口安吾の有名な『堕落論』にもあるように、人は自ら堕ちきることの出来ない脆弱さを一種の「カラクリ」によって自己欺瞞しようと常に企む存在だからです。だからこそ、そうした「神」との、狂信でも不信でも無関心でもない、ニュートラルな交際リテラシーが要請されてくるのでしょう。

僕にとっての「神」についてあえて言うなら、僕の魂を揺さぶったたくさんの「偉大な先達」です。むろんバッハや漱石もその一人です。たとえ作られた文脈によって「選ばされた」のだったとしても(多くのバッハ好きがそうであるように僕も初めてバッハに感動したのは5歳くらいの物心つき始めた頃でしたが)、自分の中に生まれた「偉大な先達」に対する尊敬の念を信じないわけには行きません。もちろん神格化されたとたん、その権威を失墜させようという動きは常に出てきます。外在する権威の否定は誰にでも出来ることだからです。またそれが許されています。だから外在を否定し続けているだけではニヒリズムはまさに「虚無主義」であって、それは「虚無」に搦め捕られたままそれに耽溺しているにすぎません。ニヒリズムがニヒリズムのままになおかつ超克されるとすれば、早い話「問題にならなくなる」とすれば、それは「内在的超越」しかないでしょう。先の夏目漱石で言えば「自己本位」において「則天去私」するということですが、たいへん難しくなってきたのでやめませう。

SIZさんの疑問で「明確な正しさが存在し、人々はその正しさに従うべき」か、というのがありましたが、むろんそうした問い方をすれば答えは自ずと否定的なものになります。本当の信仰は「従う」というのとは異なるものでしょう。バッハは「キリスト教」という枠組みにおける精神の奴隷ではなく創作主体でもあるわけです。私生活はともかく少なくとも音楽家としてのバッハの営為には、バッハという個人主体が能動し問い続けた絶えざる「私闘」があったわけですから。(R)
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2010年09月05日

孤独という擬制

SIZさんの「祭りの後の時代の孤独な生」とRさんの「神なき時代の「良心」の可能性〜現代作家の本当の孤独とは」を読み比べました。

いや最近、Rさんのおかげでブログに久方ぶりにまともな記事が出てきて、いいなあと思いますね。 やはりこうでなくてはならない。一つのブログを4人で共有する意味があるとすれば、このように誰かの記事に対して周囲が反応することによって議論が盛り上がるという効果でしょう。
現在あふたーかーにばるは盛り上がりを欠いて、後退戦を強いられてきているわけですが、だからこそこういうやりとりが必要なんだなあと思わされました。
とはいえ、なかなか私も書くことができないでいるわけですが。

さて、お二人の記事についてなんですが、私が読んだ感じ、お二人が問題にしようとしていることには、そもそも最初からずれがあるように感じられます。おそらくはSIZさんが意図的にずらしたんではないかと思うのですが、「神」の捉え方がふたりの間では異なっているように感じられる。SIZさんはここで「神」を「人間の行動に一定の方向づけを与える考え」つまり「普遍的価値観」と言えるようなものを保証する存在と定義しているようですが、私の読む限り、Rさんのいう「神」にはもう少し「信仰」という問題が含まれているように思うのです。
SIZさんの定義であれば、我々の「神」は我々が意識するとしないとに関わらず我々の行動や思考を規制する存在としてあり、現代においては肝心の神様はお留守なのにそのことを知ってか知らずか、神の名を騙って我々の行動を支配しようとする言説がはびこっていると議論を進めているようです。
しかしRさんがここで言っているのは、色々とSIZさんの定義とかぶるところはあるにせよ、信仰が問題になっているという点で大きく違っています。Rさんは次のように言います。

バッハはプロテスタントと言いましたが、いわゆる宗教改革後、信仰において(カトリックのような)教会との関係性・帰属性よりも、個人と神との垂直の、かつ純粋な「信心」がスポットライトを浴びることになります。まさにまごころを持って神と「直面」することが至上となってきます。


ここでRさんは、「我々が何事かを為すさいに、誠実であることははたして可能か」と問うているようです。簡単に言えば、「神」などと言うものは我々が自分自身と向き合うための方便に過ぎません。我々に常に自省を促す監視者としての「神」を想定することで、我々はようやく自分自身と巡り会える。だからこそ教会との関係性や帰属性はここでは夾雑物とされているのでしょう。
そのように考えたとき、確かに我々は何よりも自己と向き合うのが難しい時代にあると言えるでしょう。何を作るにせよ、何を為すにせよ、自分自身の欲望と他者の欲望は見分けがつかないし、読者だとか市場だとかニコ動のコメだとかを意識せずに何かを作ったりそれを発表することはできそうにありません。その意味で現代の創造性というのは半ば自動化しているのであって、我々は何かを創造しているのか消費しているのかさえ判断しにくいわけです。
このように我々と神との間に、多くの夾雑物が挟まっており、ついに我々は神=自身に巡り会うことができない。そのような時代にあって誠実であることは可能なのか、あるいは誠実である必要はあるのかとRさんは問うているのではないでしょうか。

しかし、むろんここには難しい問題が最初から横たわっているように見えます。
もし私のRさんに対する理解が正しいとしても、そもそもでは「神」と垂直に対話するということが果たして本当に可能なのか、バッハに可能に見えた誠実さは真に誠実なものだったのかという疑問は残ります。
私はバッハは全然知りませんが、『のだめカンタービレ』で得た知識によると、バッハは「正しすぎる」らしい。そのような正しさ、つくりの美しさ自体、キリスト教的システムの効果によるものでしかないという可能性はないのでしょうか。我々が向き合っているのはいつだって読者やら市場やらニコ動のコメやら2chでの反応やらでしかないのではないでしょうか。
確かに我々はシステムによって疲弊させられています。現代のシステムがあまりにも複雑で手触りがなくその割に高く厚く我々の前に立ちはだかって見えるからです。たとえば音楽ひとつとってもいったいどんなものが「良い」ものなのか、どうすれば「売れる」のか、さっぱりわかりません。
だから、我々に必要なのは、「誠実に己と向き合うこと」ではなく、「己と向き合っているように感じさせてくれるシステム」なのではないでしょうか。システムによる疲弊を避けつつ我々が自己を再発見するためには、そのような擬制が必要なのではないでしょうか。(A.I.)
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2010年09月02日

祭りの後の時代の孤独な生

神なき時代の「良心」の可能性〜現代作家の本当の孤独とは
http://after-carnival.seesaa.net/article/161178961.html

 Rさんのこの記事を読んで、いくつか疑問に思ったことがあるので、そのことについてちょっと書いてみたい。

 まず、Rさんは、この記事で、「神」というものを持ち出す。「この世に神がいなければ万事窮するのです」と。Rさんは現代を「神なき時代」として規定する(「われわれはいかにして「良心的」であることが可能でしょうか? もはや神がいないこの世界の片隅で」)。ここで言う「神」とは何を意味しているのだろうか。

 この記事で問題になっている「現代社会」を日本の現代社会のことだと限定して考えてみるのならば、果たして、日本において、神という存在がどれほど重要視されているのか、という疑問が生じてくる。日本においても神が問題になるとしても、それは、バッハがそれに属していたようなキリスト教圏における神とはその意味合いが大きく異なることだろう。つまり、日本において、一神教の神がどれほど問題になるのだろうか、という疑問が生じてくる。

 神という言葉の意味づけを脇に置けば、ここでRさんの言いたいことはよく理解できる。Rさんは、ある種の方向づけが見失われた時代を「神なき時代」と呼んでいて、そうした時代においては、何が良いことで何が悪いことなのか判明ではない、ということを言っているように思われるからだ。

 日本において、一神教の神が機能していなくても、世界の法則、あるいは、少なくとも、社会の法則といったものについての一般的な考えのようなものは存在していることだろう。それは、世の中はこうなっているという考え、例えば、「努力すれば必ず報われる」とか、「良いことをすれば良いことが、悪いことをすれば悪いことが自分に返ってくる」といったような因果応報的な価値観などといったもののことである。そうした法則を裏で支えている存在、そうした法則を最後のところで保証している存在を、日本においても、神と呼ぶことはある。

 こんなふうに人間の行動に一定の方向づけを与える考えをイデオロギーと呼ぶこともできるだろうが、こうしたイデオロギーがここ最近になって揺らいできた、少なくとも変化の兆しを見せ始めているのは間違いないように思える。

 例えば、戦後日本において、人々の行動に一定の方向づけを与えていた考えとはどのようなものだったのか。それはまず生活が豊かになることだったと思われる。それでは次に、生活が豊かになった後に出てきた価値観とはどのようなものか。それは、個人の夢の実現こそが人生の幸福だ、という考えではなかったか。やりたいことをやること、夢の実現に向けて努力することが善だ、という考えである。

 そして、現代という時代は、この夢の実現という考えが崩壊してきた時代ではないかと思われるのだ。夢の実現のためには社会に一定の豊かさが必要であるが、その豊かさの担保が揺らいできた時代が現代ではないのか。努力しても必ずしも報われることはないということが明らかになった時代が現代ではないのか。そうした意味で、夢の実現に価値を置くことが困難になってきたのが現代という気がするのだ。

 未来の豊かさのために、未来の幸福のために、現在の労苦を感受するというのが旧来の価値観だったとすれば、未来の豊かさが担保されないという事態、希望をもはや見出すことができないという事態にあっては、そこでの価値観が大きく揺らぐことになるのも当然であるだろう。

 それでは、現代において、夢の実現に代わる価値観が何か出てきているのか、という点が問題になりうる。新しい価値観の芽はいくつか出ているのかも知れないが、僕の見たところ、現代においても支配的なのは、旧来の価値観であるように思える。旧来の価値観を支える制度にほころびが見出されるのに旧来の価値観がそのまま存続しているというのが現代という時代ではないのか(意識と社会関係とのこうしたギャップを見事に描いているマンガ家が浅野いにおだと僕は思っている)。

 もし仮にRさんがこのような時代状況を「神なき時代」と呼んでいるとすれば、その次に問題になりうることは、Rさんは果たして神の復権を望んでいるのかどうか、ということである。それは、つまり、何か明確な正しさが存在し、人々はその正しさに従うべきだ、ということを主張したいのかどうか、ということである。「精神的な囲い込みに対抗する」という村上春樹の言葉に支持を表明していたRさんならば、当然のことながら、そのような主張をすることはないだろう。アフター・カーニバル(祭りの後)的な考えからしても、神なき時代からこそわれわれの時代が始まる、神なき時代こそわれわれの時代だ、と言うべきであろう。

 アフター・カーニバルは、全共闘の運動に対する村上春樹の違和感から出発したところがあるわけだが、全共闘の運動が父なき時代に父との闘争を捏造しようとしていたところがあったとすれば、そうした闘争の構図からの離脱を志向した村上春樹の方向性にわれわれも従うべきではないだろうか。

 僕たちの世代は、オウム事件を経験しているわけだが、この事件においても同種のことが問題になっているように思える。つまり、この事件には自作自演的なところ(未知の敵からのサリン攻撃を受けていたはずのオウム教団が、人々の敵となり、サリンを自ら撒くようになる)があるわけだが、こうした虚構のシナリオを自作自演せざるをえないのも、僕たちの時代が「神なき時代」、父なき時代、祭りの後の時代だからであるだろう。

 そうした意味では、現代において、良心という言葉に疑問符が付かざるをえないのは当然だと言える。良心の見かけだけが存在し、そうした良心の見かけを偽善という言葉によって攻撃するのが容易なのが現代という時代だろう。偽善よりも露悪のほうが誠実に見えるのが現代という時代だろう。

 Rさんは「何か生産的な仕事をする上でこのシステムは実に疲弊させられます」と言う。しかし、そもそも、生産性についての考えを改める必要があるのではないだろうか。そうしたことを考えて、僕は、この前、「不毛、断念、無意味――祭りの後の新しい価値観」という記事を書いた。

 Rさんはバッハの名前を持ち出してきたが、バッハがある種の芸術家像として持ち上げられるようになったのは、近代的な芸術観があってのことではないだろうか。つまり、作品なり作家なり芸術なりといった言葉に込められた意味合いや価値観の多くは、近代という時代がもたらしたものであるように思われる。そうした時代性のことを考慮に入れるとすれば、生産性についての考え方も検討し直す必要があるように思われる。

 僕は別にニヒリズムを推奨しようと思っているわけではない。ニヒリズムに対抗するにしても、神を持ち出すには限界があると思うのだ。信仰や信念、真理への意志といったものが重要であるとしても、何か外的なものを持ち出してくることによって、それらのものを支えようとすることに限界があるように思うのだ。

 そういう意味では、Rさんが記事のタイトルに入れた「孤独」という立場こそが現代において(も)本質的なのかも知れない。孤独とはまさに外的な支えが何もない状態を意味するのだろう。思うにバッハもやはり孤独だったのではないだろうか。バッハにおいて神が問題になりうるとしても、それは、そうした孤独な地点から見出された神であったことだろう。

 コミュニケーションというものが重視される現代にあって、依って立つところを見出すことができない現代にあって、孤独というものは行き止まりのようにも見える。しかしながら、Rさんがしばしば重視する「個」という立場からするならば、われわれは、やっとのことで、孤独の重要性を知ることのできる地点にたどり着いたと言うこともできるだろう。(SIZ)
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2010年09月01日

『ザ・リング』と『白髪鬼』と『夢十夜』とあと百閧ニ〜「越境してくるもの」のこと

先日のSIZさんの投稿記事「恐怖の構造――「夢十夜」の第三夜と「信号手」について」を読んでいてふと思ったことがある。かつて世間を賑わせた映画『リング』の有名なラストだ。中田秀夫が世間をあっといわせた最大の手柄である例のシーンである。都市伝説として広まった呪いのビデオの元凶となる怨霊・貞子が、主人公の鎮魂によって鎮まったかと思われた矢先にこの世に現れる。突然、和室のTVのブラウン管に貞子のいる森の中の井戸がなぜか映り出す。しだいに井戸から白い手が出てきて貞子が這い上がってくる。顔が長髪で覆われたままゆらゆらとこちらへ歩いてくる。あたりは森閑とした森の中である。やがて桂正和「電影少女」もかくやという感じにTVから貞子が出てくるのである。皆さんも一度は目にしたことがあるはずのあの度肝をぬく恐怖。僕はTVに井戸が映ったとき「これは出てくるな。出てきたら面白いな」と思ってじっさい予想通りだったわけだが、なおも快哉を叫んだのは表現の達成度が高かったからだ。出てくるまでの絶妙なテンポ感と四畳半(?)を這う「リアル貞子」の質感の生々しさ。動きの演出等々ディテールによく支えられていたと思う。しかしこのシーンをホラー映画史上に残る白眉とした最大の理由は「越境感」だと思うのである。「越境性」こそが人の恐怖の底にあって、人が自明に信頼している安定した地盤というものを揺さぶるのだ、と確認させられるのだ。森の中で「ホラー的な現象」が起きてもそれは依然として非日常の出来事であり、我々の実感から遠い。そのような「安心感」は貞子が画面を飛び出しこちらに越境し受肉したことで破られる。いつも居住している日常空間であるこの部屋に貞子が来ること、それもいきなりここに来るのではなく、わざわざ異世界から「越境してくること」。それこそが自らの日常性の基盤を恐怖の場面へと変質させるのだからただごとではないのだ。中田秀夫はそれをまざまざと見せつけたのである。

『白髪鬼』と『影を踏まれた女』を書店で見かけて買ったのは四年前だ。光文社の文庫版で、解題を去年ある会で少し絡んだことのある縄田一男氏がやっている。一読して好きな作品だった。これは誰かに語って聞かせたいと、ここの仲間AI氏をはじめ周りに恐怖を伝播させては自ら恐怖を募らせていった覚えがある。みんなの反応もよかった。綺堂は他にもどれも面白いのだが今たまたま記憶してる中では享保年間の怪談「西瓜」という話が印象に残っている、というか題名に期待してなかったぶん以外に怖かった。未読の人は読んでみよう。

高校の国語の授業展開でも一年間小説を取り上げ続けたとき、主なラインナップに『白髪鬼』などの怪談を多く採用したこともあった。手始めに『夢十夜』の第一夜と第三夜。第一夜は「伸び縮みする時間」についての解説が主だったが、第三夜は拠って立つべき「自己」の不確定性・無根拠さといった不安さを浮き彫りにして読み解き合う授業となった。このとき生徒達が書いたレポートは随分とフィードバックとして有益だったので今も取ってある。続いて漱石の弟子群。芥川『羅生門』の主人公も境界に立っているが、『夢十夜』の世界を受け継ぐ百閧フ『冥途』は「境界のあいまいさ」「あやふやの閾」自体が怪異としての骨格をなすものだ。百閧フ文章世界では現実と幻想の間が恍惚として確固としていない。世界の事象はあやふやな位置からあやふやな位置までをあやふやに測定・観測されるのみなのである。断絶してるはずのものが地続きになったり、地と図が反転したりというコペルニクス的転回は、かくして『白髪鬼』でも取り上げて、怪談の構造と特徴として確認した。それから川端の『無言』に出てくる有名な小坪トンネルの怪について話したのを機に実話怪談を一時間してみせたりもした。そしてティム・オブライエン・村上春樹訳の『待ち伏せ』を挟んだ後、春樹の短編『七番目の男』で締めくくった。

小松左京『くだんのはは』も有名だが、これは戦時もの、敗戦後ものに数えたい。石川淳の『焼け跡のイエス』などや、マンガなら『はだしのゲン』など名作が多いが、怪談や民話・因習ものと絡められた戦争ものが好きだ。吉屋信子「生霊」などもそうした怪談の一つだ。その『くだんのはは』には次のような描写がある。玉音放送を聴いても、初めて聴く天皇の妙に甲高い声が聞き取りづらいのが気になるだけで、誰もが事態を飲み込むまでに時間がかかっている。主人公は一応当時の軍国主義に飲み込まれている少年である。


午後の三時には一切の物音が絶え、みんな薄馬鹿のように天を仰ぎ、あちこちに固まって腰をおろし、手持ち無沙汰に欠伸したり、頭をごしごしかいたりした。僕もまた、ボケたようになって邸へ帰って来た。だが、離れに坐ると、突然わけのわからない憤懣がおこって来て、教練教科書をひきさき、帽子をなげつけた。何も彼もぶちこわしたかった。誰かをつかまえて、この何とも形容のしがたいやるせなさをぶちまけたかった。


なんだろうこの伝わってくるものは。そしてこの敗戦と戦時下を巡る様々な文脈や少年の状況が、彼の屈託をして怪物少女「くだん」を暴かせしめるのだ。ちなみに内田百閧フ『件』もこの怪物「くだん」をめぐる短編で、やはりこちらのほうが得体の知れなさというものがある。

ところで落語にも色々と幽霊ものが多いが、僕の最近のお気に入りは桂三木助の『へっつい幽霊』である。これは怖くはない。粋な任侠と気弱な幽霊が博打で金を巡って対決する話である。ちょっと「聊斎志異」に似ているかもしれない。(R)

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神なき時代の「良心」の可能性〜現代作家の本当の孤独とは

人はトイレに紙がなかったら万事休するでしょう。それと同じくらいこの世に神がいなければ万事休するのです。のっけからふざけた話に怒りを覚える人もいるでしょうし、宗教じみた物言い(ほんとにそうか?)に首をひねる方もいると思います。でもこれはいたって真面目な話なのです。

現代社会において人々の心はすさんでいると方々で言われています。それと同じく、現代にもまだある美談を通じて人間の尊厳を確認したりすることもあります。人間は悪人であったり善人であったりしているようです。あなたの中にも善と悪とが毎日・毎秒ごとに行ったり来たりまさに去来しているでしょう。そんな中で、何かに夢中になってそれをやり遂げたとき、自分にとってか周りにとってか少なくとも「善いことをした」と感じることがないでしょうか。いったい人の「良心」というものはどこからやってくるのでしょう? どこで生まれて何に支えられて「良心」は人間を善へと導かせしめるのでしょうか。

「良心的」という言葉があります。「良心的な価格」「良心的なサービス」・・・的とつくと「良心」そのものではないということになりますが、まあおおむね「良心的」なわけです。何かものを「創る」ことにおいても「良心的な仕事」というのがあります。たいていの人々がそれを期待し「良心的な仕事」には敬意を表します。しかしながら「良心的な仕事」というものは、そうそうめったにお目にかかれるものではありません。残念ながら。なぜでしょう?

有名な音楽家にバッハという人がいます。そう、あの「音楽の父」と言われる人です。まあ「ウルトラの父」みたいな人ですね(?)。18世紀のドイツの片田舎ライプツィヒで活躍しました。だいたいずっとそこにいたので意外と地方発信だったわけですね。東国原知事と一緒ですね、はい。彼は聖トーマス教会の専属オルガニストでした。と同時に音楽監督でもありました。それはどういうことかというと教会というのは毎週日曜に典礼のミサがあるわけです。それ以外にも色々と教会というところはしょちゅうミサをやりますが、まあ週一のミサが本式です。ざっくりと言って、ミサは典礼文という儀式の言葉、基本的には神を賛美したりする詩句ですが、これを時には賛美歌として歌ったりします。バッハは毎週の礼拝ごとにこうした儀式に使用するための曲を作っていたのです。カンタータやコラールなど長短さまざまですが、このなかに有名な「主よ人の望みの喜びよ」や「G線上のアリア」なども入っています。こうしたバッハの曲はどれも精密に構築されていて、ひとつとして雑な作りをした、弛緩した作品はありません。高レベル高品位な作品が週一という驚異的なペースで量産されていったのです。つまり毎週慌ただしく過ぎてく中で、高密度な職人仕事をこなしていたということです。なぜこんなことが可能だったのでしょうか? そこにはバッハが天才だったからの一言では片付けられないものがあるはずです。教会から依頼されて作っていたわけですが、牧師(バッハはプロテスタントなので神父ではありません。また本当はミサではなく礼拝となります)や信徒のためだけに作っていたのでしょうか? 家庭のため? 単なる責任感? ではその責任感はどこからやってくるのでしょうか。

バッハはプロテスタントと言いましたが、いわゆる宗教改革後、信仰において(カトリックのような)教会との関係性・帰属性よりも、個人と神との垂直の、かつ純粋な「信心」がスポットライトを浴びることになります。まさにまごころを持って神と「直面」することが至上となってきます。神を崇める行為つまりバッハにおける宗教曲の作曲とは、最終的には、あるいはまずもって神に対するものでした。真面目で敬虔な信者であるバッハにとっては、一生懸命に作品を仕上げることがすなわち神と向き合う信心深さの表れだったというわけです。だからバッハの作曲家としての、作り手としての「良心」は、神と信仰に支えられたものだったということなのです。中央から離れた地方にいてもどこにいても、神に対して恥じない仕事をする職業精神がバッハのいたドイツの時代精神だったのかもしれません。だからこそ有名な「マタイ受難曲」のような大曲を、あの過密スケジュール下で生み出すことが可能だったのでしょう。この3時間もある宗教曲は、クラシックを知るものなら誰しも頂点に掲げるものですが、音楽史のみならず人類史上の遺産といっても過言ではありません。これに並ぶ曲はあっても、これを越えるものはないからです。その作曲過程と現場を知ると、普通はやっつけ仕事の環境だとしか思えないくらい時間的にも切迫しています。にもかかわらず、そこにはバッハの魂が込められています。

われわれは「ビジネス社会」というものを生きています。「忙しい社会」のことです。「時は金なり」が至上命題になっています。人々は少々値段が高くても遠いスーパーより近くのコンビニですませたりします。誰もが「どこでもドア」や「タイムマシーン」を夢想したりもするでしょう。科学技術が問題なのではありません。それを裏支えしている社会意識の構造的な不備によるものでしょう。何か生産的な仕事をする上でこのシステムは実に疲弊させられます。そんな過酷な無数の「現場」で、われわれはいかにして「良心的」であることが可能でしょうか? もはや神がいないこの世界の片隅で。(R)
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2010年08月28日

渋谷HMVが閉店してショックなのはあなただけではありません。

おととい渋谷のアトラクション居酒屋ロックアップへ向かうとき、センター街のHMVを通った。・・・閉まっている。本当に・・・。日曜に閉店ニュースを聞いたばかりだ。その日の僕は由比ヶ浜で浮かれていた。怪談スポットの小坪トンネルをドライブとかしていた。あとで「しまった」と思った。今日が閉店の日だったか・・・。

閉店のニュース自体は早くから伝えられていた。そのときは愕然としたものだ。と同時にもう一度行かねばならないと決意したのだが、かなわなかった、というか忘れていたのだから始末に負えない。HMV渋谷は僕の音楽的青春の中核をなす存在とも言えたのに。それにしても誰がこんな事態を予想できただろうか?ドッグイヤーとはいえこんなにも早くあっけない幕切れを。もちろん数あるHMVの中でよりによって一号店であり日本最大にして本店である渋谷店が他店舗を先んじて閉店したのは、一等地でのビジネスにおける費用対効果に鑑みて無理があるということだろうが、他店舗を全部潰しても世界的に有名な渋谷のランドマークを残して欲しかった。

いずれ街の本屋も同じ運命を辿るだろう。本屋の場合大型店と個人経営のどちらが先に終わるだろうか。電子書籍も進めば半減するかもしれない。ネット購入におおいに頼ってるところもあるが、いまだに書店に足を運ぶのを欠かせない身として一番危惧するのが、ふらっと立ち寄れる書店がなくなるかもしれないということだ。現在なら、このさき全国のどこに引っ越そうとも、だいたい都市部であれば半径数百メートル以内の歩ける近所に書店は存在しているだろう。帰り道に休日に買い物のついでに、あちこちの選択肢の中からいくつかの書店を利用しうる環境はやはり便利なのだ。これがやがて淘汰されれば定期的な書籍のフィジカル・チェックは車か電車をわざわざ利用して・・・ということになりかねない。そうなれば今より足は遠のくに決まっている。雑誌はコンビニに頼るとしても。

横浜のHMVとともに渋谷店を利用するようになったのは90年代後期からだ。いわゆる渋谷系のうっとおしい流行も一段落した頃からである。時代は世紀末の雰囲気と共に洋楽の色んな文脈・シーンが切迫感を伴って喧伝され消費されていた。まだネット文化より雑誌文化で、時代を語る言葉に効力も信憑性もあった。みんな足を使ってフィジカルに音楽を浴びた。やがてタワレコが全国的に下火になりHMV一人勝ちの様相を呈してきてからはCDの試聴と発掘作業は、HMVだった。そこから少し足を伸ばし、DMR周辺のレコード街を歩きアナログ・レコードを試聴・発掘しに行ったものである。まさに庭だった。

ミレニアムを越した頃から音楽シーンとその享受の仕方に変化が見られはじめ、音楽業界全体も変わっていった。だがHMVは店舗拡大を続けていた。個人的には「また作ったのか」という気がしていた。それがつい4年ほど前くらいまでのことだった気がするのに、この2,3年、YOUTUBEが広がりはじめた頃からの激変で一気にもってかれてしまった感がある。体制を整える暇もなかったのではないか。我々消費者とそんなに大差ない感覚で、気がついたら終わっていた、という感じなのではないか・・・。

去年だったか突然ネットでのダウンロード販売から撤退したのを不審に思っていたのだが、HMV自体が色々と危ういのだろう。HMVの店員になることは、あの制服をのぞけば一種のステータスでもあり安全保障でもあった気がしていた頃が近くて遠い過去になったのである。合掌。(R)
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2010年08月25日

不毛、断念、無意味――祭りの後の新しい価値観

 今月の半ばにアフター・カーニバルの会合が久し振りに行なわれた。僕は事情があって参加しなかったのだが、今回のテーマは、若松孝二の映画『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』を見てそれについて語ること、連合赤軍事件について問題化することであった。誰かメンバーの人で、この日に話されたことをまとめてくれるとありがたいのだが。

 なぜ今回連合赤軍事件を取り上げたのかという点については、アフター・カーニバルでこれまで語ってきたことの文脈から言えば、それなりに理解できることである。つまり、アフター・カーニバルは、これまで常に、時代の節目を問題にしてきた。戦前/戦後というのが大きな節目であるし、昭和/平成というのも大きな節目である。連合赤軍事件は60年代から70年代にかけての節目において問題になった出来事である。

 アフター・カーニバルではこれまで村上春樹の小説をずっと問題にしてきたが、春樹が初期の小説において問題にしていたのも、60年代から70年代にかけての時代の節目である。僕たちにとって、この時代の節目が問題になりうるのは、そうした節目の出来事を僕たちの時代の節目の出来事と重ね合わせて考えることができるからである。

 アフター・カーニバルという活動組織名の由来を振り返ってみれば、そこで強調点を置いていたのは、大きな出来事の後をどのように生きるのか、僕たちの生というものはまさに大きな出来事の不在によって規定されているのではないか、という問題意識に基づいてのものである。大きな出来事が存在しない、ビッグネームが不在である、こうした状況において生きることとはどのようなことなのかということをこれまで問うてきたと言えるが、こんなふうに大きな出来事が存在しないという状況にあっては、アフター・カーニバルという活動組織においても、いろいろと支障をきたすことになる。端的に言えば、共通言語の不在、共通の話題の不在として、問題が浮上している。

 連合赤軍について語るというテーマ選択に関しても、それは僕たちの弱点が浮かび上がった選択だったと言えるだろう。つまり、連合赤軍という出来事は、それが祭りの後を象徴するような出来事であったとしても、そんなふうに終わりを象徴できるくらいには大きな出来事であり、僕たちの活動に何らかのまとまりを与えるためには、こんなふうに、少しばかり大きなものが必要になってくるのである。

 では、連合赤軍という今回のテーマが適切だったかと言えば、僕にはあまりそうとは思えない。僕自身も他に代替案を提出できなかったわけだからこの選択には責任があるわけだが、今日的なテーマ設定に根差した選択だとは思えないし、アフター・カーニバルの活動においても面白いテーマ設定だとは思えなかった。

 会合で何が話されたのか、会合の感想はどうだったのかということについて、Rさんとイワンさんから少し感想を聞いたのだが、二人とも、何かポジティヴな意見、何か生産的な意見が出たというふうには言っていなかった。イワンさんは、連合赤軍の活動に関して「不毛」という言葉を用いていたが、しかしながら、まさに、この不毛というものに焦点を合わせることこそ、祭りの後にあっては、重要なことではないのか。

 大きな出来事が起こらない世界において、何も生産的なものを生み出すことができないからこそ、生産性の見かけとでも言うようなものを演出しようとするのではないだろうか。連合赤軍の行動にもそのようなものを見出すことはできないだろうか。つまり、そこにおいては、意味のある活動(革命に向けた活動)を装うことによって、日々の生活を、共同生活をやりすごすことが問題になっていたのではないだろうか。

 言い換えれば、ここで問題になっているのは、無意味なものに対する試練といったものである。こうした試練に現代のわれわれもさらされているだろうし、われわれはこの無意味なものをどのように取り扱っているのか、また、どのように取り扱っていくべきなのか、という点は大きな問題であるだろう。

 しかし、こんなふうに現代の課題を明確化できたとしても、アフター・カーニバル内において、またその外においても、共通言語を確立できないという問題は厄介である。ある種、それぞれがバラバラであるというところに今日的なリアリティがあると言えばあるわけだから、やはり、そこに根差して何とかやっていくしかないのだろう。この断絶それ自体を問題化していくしかないのかも知れない。

 しかし、アフター・カーニバルという基本的なコンセプトは決して悪いものではないかも知れない。そこには明確な断念があり、この断念は、言い換えるならば、これまでの価値観に対する切断をも意味していると言えるかも知れないからだ。

 不毛にしろ断念にしろ無意味にしろ、こうした言葉から否定的なニュアンスを取り去る必要がある。現在が過渡期であるとすれば、これまでの価値基準からするならば否定的に捉えられがちなものにもっと注意を向けるべきだろう。(SIZ)
posted by SIZ at 13:13| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月19日

現在と切り結ぶために過去を利用するということ

宮沢りえと「少年時代」の終わるとき――80年代バブルJAPANの少年だったあの頃
http://after-carnival.seesaa.net/article/157667401.html

 先月末にRさんが書いたこの記事を読んで、僕は深い感銘を受けた。この文章では、アフター・カーニバルの活動の根本にあるものが示されているように思う。それは、ある種の世代的な問題に関わることだが、そうした問題意識を、僕たちアフター・カーニバルのメンバー全員に見出すことができる。各メンバーがこれまでに書いてきた記事に見出すことができる。

 しかし、これは、本当に世代的な問題なのだろうか、というふうに疑問を提示することもできるだろう。それは世代的な問題というよりも、ある種の問題を世代に仮託しているのが僕たちのやり方なのではないだろうか。僕たちが実感しているのは、様々な意味での切断であり、以前と以後であり、現在が過去とは異なるという印象、何かを喪失してしまったという思いなどである(こうした喪失感は村上春樹の作品に顕著に見出されるものであり、春樹がどのようにそうした喪失感を取り扱っているのかというところに、僕たちの春樹への根本的な関心がある)。

 Rさんの記事において、こうした切断は、宮沢りえというひとりの人物に仮託されている。宮沢りえのうちに何か大きな変化が見出されるのであり、まさに時代の変わり目が象徴されているのだ。

 僕たちにとっての過去のものとは80年代的な何かだと言えるかも知れない。しかしながら、80年代というひとつの時代に特権的な価値を付与することは危険であるだろう。どの時代のどんな事象にも切断の兆候を見ることも可能だろう(95年にそれを見出すこともできるし、99年と2000年の間にそれを見出すこともできる)。しかし、とりわけ80年代と90年代との間に見出される切れ目は、輝かしい夢、実現が約束されているように見えた夢と、その夢が単なる夢にすぎなかったこと、それが時代の見ていた夢にすぎなかったことが明らかになったという、そうした切断を意味する。

 僕たちの世代は俗にロストジェネレーションと呼ばれるが、ここでの「ロスト」という言葉の意味合いは、そうした夢が見失われたことを意味する。だが、そんなふうに実現しなかった夢に対して、その代償を求めるというのは間違った対処の仕方であるだろう。時代がひとつの夢を見ていたことを責めることはできない。時代が夢を見なくなったら、もはや未来など存在しないも同然ではないのか。

 従って、実現しなかった夢に対するその最良の対処方法とは、その夢がどのような種類の夢であったのかということを精査すること、そうした夢を見ざるをえなかった時代の状況(あるいは社会の構造)というものを白日の下に曝し出すことである。これこそが時代と切り結ぶ最良のやり方、自分たちの時代を相対化するやり方であるだろう。

 問題にすべきなのは常に現在である。現在がどのような時代なのかということはまったく明らかではない。そうした現在と切り結ぶためにこそ過去を利用すべきである。単に思い出を語るのではなく、そうした思い出の限界を見定めること。過去の思い出に見出される何か過剰なものを適切に切除すること。そのような相対的な視点を獲得してこそ、現在に切り結ぶための視点を獲得することができるだろう。(SIZ)
posted by SIZ at 18:30| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月29日

もしも国木田独歩と田山花袋がコンビ漫才をしたら・・・笑いの劇場2010・0点家出編〜文豪アイコン漫談の夜明け前

(この記事の原案は2004年10月22日に書かれました)


ある日の劇場にて・・・


doppo.gifどうも〜国木田独歩と申します。歩ッポと呼ばれております。武蔵野生まれです。

katai.gifはいどうも〜、相方の田山花袋で〜す。いつも押入れに蒲団しいて寝てます〜。

doppo.gifあのな花袋の。最近気づいたんだよ。

katai.gifなにがやねん。

doppo.gif一卵性の双子ってゆうのはあれだね。どっちが兄だか弟だか本当のところ判然としないじゃないのかね。

katai.gifどゆことやねん。

doppo.gifつまりだな。最初に生まれたほうが兄なわけだ。

katai.gifそらそや。

doppo.gifところがだ。連中、一卵性の双子だぜ? 産んだほうも取りあげたほうも、すぐにどっちがどっちだかわからんようになるじゃないか。

katai.gifそんなことあるかいな。すぐに分けてしまえばええやないか。

doppo.gifそこなんだな花袋の。なんかの拍子にワケわからんことになってしまったらどうする? もし真夜中に「双子とり替え婆さん」がやってきて、ベッドの名札を替えてしまったらどうするよ?

katai.gif待て待てぇい!なんやねんそのけったいな婆さん!なんでそんな婆さんがおんねん!

doppo.gifあるいはマリックさんがやってきて、双子をぐるぐる混ぜて、「さあどっちだ?」

katai.gifいやーっ!マリックさんやめてーっ!

doppo.gifそんで一方が消えたと思ったらな? レモンのなかから出てくんだな。

katai.gifアカんて!そんな酸っぱい双子イヤや。ほいで親も「・・・きてます!!」言うてる場合やないで!?

doppo.gifだからな、双子というのはふとした拍子に・・・

katai.gifふとしたことあるか!思きり「取り替え婆さん」のせいじゃ!もしくはマリックさんや。

doppo.gif・・・で、わしは思いついたよ。

katai.gifなんやねん? はよきかせ。

doppo.gifシールを貼る。

katai.gif・・・・・・どこにや?

doppo.gif額に。

katai.gif・・・「肉」って?

doppo.gif決まっているだろう。

katai.gif笑えるか!・・・で、どっちが兄やねん?

doppo.gif貼ったほうが王位継承者だ。

katai.gif兄もう関係あらへん!アホか、もうええわ。この・・・埴輪。

doppo.gif・・・おまえは今なにを最後につぶやいたのか?

katai.gifなにがじゃボケェ〜。

doppo.gif埴輪って呼んだな?! このムンクみたいな顔したロリコン野郎!

bunsnaoya.gifまま、先輩たち。稽古中の喧嘩はやめてください。

doppo.gifおう、ピン芸人の志賀氏のナオやんか。さすが「和解」名人。お前さん最近ついに、笑いの自然主義を確立したらしいな。

bunsnaoya.gifええ、身の回りにある日常的なネタで勝負したいんです。僕にかかれば庭の蜂だってネタですから。ところでさっきお二人を菊地さんが探してましたよ。なんだか今夜のトリの夏目亭漱石先生が胃潰瘍で倒れたらしくて。

katai.gif支配人が?またかいな。あの狸オヤジなんやゆうたら、春秋劇場の穴をわいらに埋め合わせさすねん。まだこの前の公演の払いもまだゆうのに。どないあくどい経営してんねん。

kikuti1.gifおほん。

katai.gifうわ、支配人!

kikuti1.gif君たち誰のおかげで、メジャーになったと思っているのかね?

doppo.gifいやいやそれはもちろん支配人が・・・

bunsnaoya.gifふん。まあいい。今日は新入りを紹介しよう。毒舌が持ち味の大原麗子と、ベビーフェイスながら東北出身で貧乏ネタをやらせたらピカイチの石川家改めタックンボックンだ。

oharareiko.gif麗子で〜す。なんだか独歩さんと花袋さんのお二人は、埴輪とムンクに似ていると思うー。わたしだけでしょうかぁ〜?

doppo.gifkatai.gifおまえだけだ。

oharareiko.gifえ〜。

bunsnaoya.gifタックンボックンて一人しかいないけど、ピンなの?

takubokuieie.gifいえいえ、オラだづはコンビだ〜。

bunsnaoya.gifあれ、じゃもう一人は?

takubokuieie.gifそこでねでるだ。

katai.gifあ、あそこにいるのがそう?

takubokuieie.gifんだ。

takubokuzzz.gifZZZ〜

takubokuieie.gif弟は母親っこで甘えん坊だがら〜。たまに起きると手ばかりじっと見てるだ。

bunsnaoya.gifよく似てるな〜。双子だったのか〜。

doppo.gif!!!・・・あの、じゃあ・・・

katai.gif歩ッポ氏?

doppo.gif・・・聞いていい?

katai.gif歩ッポ氏!!

doppo.gif止めてくれるな花袋の!・・・ひとつ聞くけどタックン。

takubokuieie.gifボックンです。

bunsnaoya.gifややこしいな。

doppo.gifボックン。・・・ ・・・どっちが王位継承者なの?

bunsnaoya.gifkatai.gifkikuti1.gifそこかよっ!

bunsouseki.gif・・・鏡子ぉ〜ジャムくれよ〜う。

oharareiko.gifヒットエンドラ〜ン。



以上ところどころネタがアレなのはなにぶんアレなものでそこんところアレしてください。(R)
posted by R at 05:19| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月28日

宮沢りえと「少年時代」の終わるとき――80年代バブルJAPANの少年だったあの頃

 小さい頃の話をしようと思う。古き良き時代とその終焉の話を。

 その頃小学5年生だった僕はタイのバンコクにいた。当時バブル期まっただなかで、日本と日本人はアジアの雄だった。企業は軒並み東南アジアの安定国タイやシンガポールに進出し、各種インフラの知恵を授けるようなこともしたが、あらゆるリゾート地に顔を出しては我が者顔で歩いたり、女を買ったりしていた。半ズボン時代の僕はもちろんあまりそんな部分を実見していたわけではなかったけれど、ゴルフ場などでキャディーさんにチップをはずむのは逆に良くないといったような類の話は子供たちにも浸透していたので、当時の日本のガキは、何かしら自分たちを地位の高い者のように感じていたはずだ。今思えば小学生でゴルフっていう自体が色んなものを示唆している気がする。

 当然バンコクには日本人のビジネスマンがたくさんいたし、日本人のビジネスマンの子女がたくさんいた。だから通う学校はとてつもなく大規模の日本人学校だった。小中あわせて3000人だかの児童が通った。周りは畑ですらない野っ原で、マンションのみんなと朝スクールバスに乗って通った。20分くらい街中を走ってもう10分何もない国道を走って、小さく低い川沿いのあるようなないような民家を過ぎると校舎だった。ある日、道路脇に犬が死んでいたこともあった。車用の道路しかなく人もあまりいない場所で野良犬の死骸だった。それから毎日、誰も片付けない犬の死骸をバスの窓の下に見かけながら通学した。日に日に朽ちていくのであまり見たくないのだが、目をそらせない何かがあった。その場所に近づくと今日はどんな姿になってしまったのか確認せずにはいられなかった。肉がついていたのは長くはなかった。犬は最後には骨になっていた。

 学校の運動場は小学生にはだだっぴろく、野球部の僕はよく10周くらい走らされた。熱帯の夏を汗一つかかず練習していたのだから今考えると少年時代というのはかなりハイスペックな生き方?をしていたものだ。校庭にはよくカエルが出たり死んだりしていた。うっかりボール拾いしていると自分が踏んだんだか端から潰れていたんだか分からない。蛇も出た。グリーンスネークといって最悪なヤツである。紐みたいに細く小さいのだが猛毒で理科室の標本になっていた。そんな環境でも人は、少年少女はサヴァイブしていくもんなのである。そんな意識なく生き残ったのだけど。
 
 グランドが広く見えたのは小さかったせいもあるだろうが、一度部活に大リーガーが巡業してきたとき、対角線上の端と端でキャッチボールして見せたのには驚いたものだ。今その校舎は近代化して周囲は都市になり、街にはモノレールや地下鉄が走り、みんな同じ刈上げだった少年たちは茶髪になってオシャレな少女たちとプリクラを撮ったりしているのだから、もろもろの発展スピードは明治維新の比じゃないのだろう。まぁそれでも相変わらずクーデターが風物詩ではあるようだ。といっても僕がいた80年代後期は一度も起きなかったけれど。

 この頃日本では『機動戦士ガンダム・逆襲のシャア』がやっていたはずだが、そんな盛り上がりを知らずにいた。初代ガンダムは観ていたがそんな映画がやっていたことすら知らなかったのだ。当時のタイの映画館は日本映画もやってたようだが、観た記憶があるのは『インディアナ・ジョーンズ3』とかである。
 
 でも日本のTVは比較的よく観ていた。いたるところに日本人御用達のレンタル・ビデオ屋があって、洋画だけでなく日本のTV番組を単純に録画したものを貸し出していた。当時やっていたものといえば、デフォルトの視聴環境というか条件が「母親の顔色を気にしながら」という志村けん・加藤茶ペアの『カトちゃんケンちゃん』(男子のエロ需要に役立っていた気がする)、今は何をやってるんだろう山田邦子がお届けの『やまだかつてないTV』(それにしてもネーミングが80年代すぎる)で永井真理子を鑑賞し、『なるほどザワールド』から『世界ふしぎ発見』(徹子、板東、吉村作治のキャラの濃さ!)をはしごするのは至福の時間に思えたり、まぁ色んなものを観ていた。もちろん日本よりやや遅れて観ていたが、周りもそうだったのだからなんの問題もなかったのである。ちなみに「週刊少年ジャンプ」は一週遅れぐらいで現地のそごうあたりで購入していた。伝説の『ドラクエ3』は当時ミニ四駆と並んで、ipadどころじゃない騒ぎだったはずだが、孫に弱いお爺さんに頼むとどうにかして手に入れて送ってくれるわけである。・・・ていうかほんとよく買えたな。なんか呪文でも唱えたのかな。

 5年生の時のクラスが担任の良さもあっていわゆる学年のベストクラスだった。仲も良かったし雰囲気も良かった。ちなみに僕に「セックス」という言葉を教えたのはこのクラスのとある女の子である。ただ「大人の男女が裸で抱き合うこと」という説明ではあったけれど。それでも僕も友人も男子陣は軽く茶化したり適当に興味を抱いたふりで受け流した。まだ女子ほどませていられない男子なのであった。

 その仲良しクラスに文化祭が近づいていた。我々はお化け屋敷に決定した。僕は怖いカセット・テープを作った。家のラジカセをマンション地下にある狭い卓球ルームに持込み、壁に反響させながら倍速スピードで意味不明な発声をひたすら録り続けた。A面もB面も「ぉぅわぇ〜」やら「ひぁぁぁうぅぅぅ」とかで埋め尽くした。それを通常スピードで再生するとヤバめな背景音ができあがるのだ。
 
 ある日みんなとテラスで看板作りだかの屋外作業をしていると、誰かが「このまま学校に立てこもって籠城したいよな」などと言った。みんなも同調して「朝まで出ないで親とかにも知らせないでね」と応じた。これには理由があって、みんなその頃『僕らの七日間戦争』という宮沢りえ主演の映画を観たばっかりだったのだ。全員観たのかどうか実のところ知るわけもないのだが、言葉も覚えたての「レボリューション」が当時流行っていたのは確かだ。これは『僕らの七日間戦争』の主題歌だか挿入歌の歌詞の一節だ、というか歌い出しなのである。「レボリューション/ノートに/書き留めた/言葉」と張りつめるように歌われる。小室哲哉の都会的なメロディの響きにボーカル宇都宮隆の独特の逼迫感・焦燥感みたいなものが当時のリアリティをすくい取り、高校生だけでなくそれに憧れる少年少女たちの琴線をもくすぐったのだ。ノートに書いていたのはスライムとかロトの剣とかだったけれど。ちなみにTMは同じアルバムで「resistance」という曲も歌っている。

 そんな影響もあってか「抵抗すること」ではなく、「抵抗のポーズをとること」がみんな好きだった。何につけいつだって小学生は単純なのだ。ジャッキー・チェンを観たらむだに機敏な動作で日常を生活したし、『あぶない刑事』を観た翌日は廊下を走る男子はピストルを構えながら走った。
 
 だから我々はごく自然に黒板消しを教室のドアの上に挟んだまま、各先生を入室させ意外と絵に描いたとおり引っかかるのを観ては満足したのである。先生たちの不幸を喜んでいたのではなかった。むしろこの人たちなら笑ってくれるという理解を求めるほど甘えたコミュニケーションの一つだったのだろう。調子に乗ったクラスは黒板消しを筆洗い用の水バケツに換えた。二人目くらいまでは良かった。他愛のない児戯をコミュニケーションと解してくれた。しかし普段から寡黙で目立たないその先生にまで実行したのが思わぬ事態となった。剣道部の顧問をしていたその人は、水を頭からひっかぶるや顔がこわばり、みんなの歓声を突然怒号で打ち消した。 

「誰だこれをやったのは!! 出て来なさい!」

 一瞬の静寂の後、状況が急に変わったことにみんなが気づく。前の時間うまくいっただけにリアルになるのにやや時間がかかる。だが先生の迫力に全員青ざめだす。それからは待望の学園ドラマの始まりである。いい頃合に、計画に乗っかった一人でもあり学級委員的な存在でもある女の子が「私が悪いんです!」と立ち上がると、別段その子のせいでもないことを知っている男子が「いや俺ですから!」とやはりそいつのせいでもないのに立ち上がり、そうすると後は各人どっかでみたような行動とセリフをなぞり出すだけである。僕自身が計画にどれだけ乗っかていたかは記憶が曖昧で政治家みたいで面目ないが、どっちもどっちみたいな目で見ていたような気がするのは今とあんまり変わらないような気がして、ずるいようなしょっぱいような気がしないでもない。結局その事態はそうした法廷劇のあと担任によって収まった。

 翌年日本に帰国した僕はある朝、新聞広告に七日間戦争をした美少女ヒロインが全裸でドアにもたれかかっている白黒写真を見つけて大いなる衝撃を受けた。ワイドショーではその宮沢りえのヘアヌード解禁特集をやっている。映せないヘア写真の模写した絵を使って誰かがりえちゃんの「ヘア」をご丁寧に解説していたが耳はふさがなかった。中学生になったばかりだったが、あの日のヒロインの裸を観て少年時代の終焉をうっすら感じたものである。思えば美少女の裸を観たのはあれが初めてだったかもしれない。

 そのまま学校に行くと、普段は厳しいことで知られる体育教師のおばさんがなんとその「サンタフェ」を持って歩いているではないか。当然みんなが群がって騒いでいた。抵抗もせずに。でも今はこんな光景すら見られない時代になったのだろう。
 思春期に突入するその頃のお話である。(R)
posted by R at 06:09| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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