2010年11月18日

牙狼‐GARO‐(雨宮慶太)

2005年(平成17年)10月7日から2006年(平成18年)3月31日までテレビ東京系列で全25話が放映された、特撮テレビドラマ作品。
はるか昔から人の欲望に憑依し、現世に災いをなしてきた「ホラー」という魔物たちと、黄金の鎧を纏う魔戒騎士・鋼牙が戦う。

劇場版を観たので振り返ってみた。

改めて思うことは、『牙狼‐GARO‐』は、鋼牙が「ヒーローになる」物語だったのだということだ。

はじめ、鋼牙はカオルを(何か魅かれるものはあるにせよ)ホラー狩りの餌と見ている。
この時点での鋼牙の目的は、父親を殺したホラーを狩り、復讐することのみにある。
そのためには弱者を利用し、切り捨てて顧みない。
たしかに鋼牙は1話目から強く、格好いい。しかし、復讐という私欲にとらわれている点で、ホラーどもと同じ位相にあるともいえる。
これではさすがにヒーローとはいえないだろう。

そんな鋼牙が、戦いを通じて、カオルとの交流を通して、少しずつ変わっていく。
つまり、カオルを守り、その他の命も守るという姿勢に変わっていく。
これによって、鋼牙は魔物たちとは次元の違う存在になっていくのだ。
自分の欲を満たすのではなく、弱者への責任を感じ、守り続けようと戦う、挑戦し続ける者、それこそがヒーローといえるだろう。

……か? 人間、そんなに強くあり続けられるものだろうか?
ラストシーンで、鋼牙はカオルの描いた黄金騎士の絵本の結末を見る。何が描いてあったのかは描かれない。
戦いを終えた騎士の安らぎなのか、果てしなく続く戦いなのか、それは分からない。

それを見た鋼牙は、一滴の涙をこぼす。
何が描いてあったのかは分からないが、なぜ鋼牙が涙をこぼしたのかは分かる。

それは、「ヒーローであることが辛い」ということだ。
辛かったし、今も辛いし、これからも辛いだろうということだ。
全編をとおして硬い表情を崩さない(一度も笑わない)鋼牙がずっと抑え込んでいたのは、こういうことだったのだ。
それはそうだろう。超人的な戦闘能力をもつ鋼牙だが、ホラーを倒すためには、90秒間、鎧の力を借りなければならない。
超人的ということと、実際に超人であることは違う。
あくまで人の範疇にある鋼牙が、あらゆることを耐え忍んで、GAROとしての自分を保っているだけなのだ。
鋼牙はヒーローそのものではない。ヒーローになろうとしている者、ヒーローであろうと願っている者だったのだ。

そして、弱者への責任、「ヒーローであることが辛い」という自分の弱さまでも含みこんで、それでも新たな戦いに臨んでいく決意をしたとき、鋼牙はヒーローになったのだ。


そこから先は、我々の物語である。(イワン)
posted by SIZ at 11:58| Comment(0) | TrackBack(0) | ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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