2010年11月07日

『機動戦士ガンダム デイアフタートゥモロー カイ・シデンのメモリーより』

 ガンダム「30周年」企画で、『ガンダムUC』と平行するように、ファーストの歴史を非常に興味深い角度から扱っている。

 設定は一年戦争終結から約4半世紀たった時代。連邦管理下にあるかつてのジオンの拠点サイド3にて、何やら万博的なイベントを思わせる「一年戦争記念館」と大回顧展が開かれる。展示は主にMSやWB(の残骸)である。そこにオブザーバーとして往時を知るカイ・シデンが招聘される。われわれの現実で言うと今現在から湾岸戦争時代を振り返る距離感に近いだろうか。

 というわけで、一年戦争展を通してファーストという過去の歴史が通覧されたり回想されたり解釈されたりしていくことになるわけで、ある種メタ・ヒストリカルな視点を持つことになる。そしてそこには必然的に「記憶」の問題、「事実」と解釈・記述の問題、などといったような「歴史」をめぐるおなじみの問題群が孕まれてくるのである。そもそもファースト・ガンダムにはそれこそ30年の歴史の蓄積と補完があるわけで、ガンダム・シリーズそのものがある意味で歴史記述の営みなのである。ともかく、そうした視座がこの設定を意義深いものにしているし、また本作を批評性のあるものにしている。

 たとえばWB展に連邦のノーマル・スーツが展示されていて、そこにアムロと同じ白モデルがある。ナビゲーターは、これはアムロの「パーソナル・カラー」と説明するが、カイは首をかしげる。「白なんてたくさんあったじゃないか」と。だが「いや、たしかに戦時中はアムロくらしか見かけなかったかな・・・」と言い直すと、ナビゲーターは「では間違ってはいないということですね」と事実確定してしまう。カイは「そうは言わないが・・・」とさらに首肯しかねている。

 つまり、そこには「事実」と記述され解釈された「史実」に微差があるのだ。「間違ってはいない」と整理された「回顧展」は、カイ個人の記憶と微妙に齟齬するのである。そういう意味では「回顧展」によって確定される「パブリック・メモリー」は、間違ってはいないが、正しくもないのだ。だからこそ、「カイ・メモリー」によってそれは補正・補筆されるべきなのである。ちなみにWB展本部の「公式データ」ではスレッガー中尉は存在しないことになっているらしい(この辺りが今後の展開の鍵だろう)。また「ハロ」のオリジナルに関する記録はカイよりも、制作会社の公式情報が正確であることが判明したりもする。

 ともあれ、カイ・シデンの回想「カイ・メモリー」によって、アムロの白スーツが、ガンダム・パイロットのひいてはアムロの「パーソナル・カラー」として誕生したわけではない経緯の一端に触れることが出来る。結果的にそのように見えるだけで、「事実」の発生起源はそのようなアムロありきの文脈とは異なる要因・要素を持っていた。

 ガンダム・シリーズはたしかにトリビアルになりがちなのかもしれないが、このようなある意味では些末な細部を、いわば「集合的記憶」のあり方という視座において描くことが、むしろ戦争の「記憶」の重要な側面に光を当てている気がするのだ。というわけで今のところ注目している次第である。(R)
posted by R at 13:21| Comment(0) | TrackBack(1) | マンガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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