2010年03月18日

『サマーウォーズ』

 『サマーウォーズ』(細田守監督)を観た。

 田舎の風景とヴァーチャルリアリティ、一人っ子で核家族の主人公といかにも田舎的な大家族のナツキ一族、という具合な対比構造があり、その見せ方が上手い。私自身ナツキんとこよりはむろん小規模ではあるが、田舎にいくと基本あんな感じなのでずいぶん懐かしい気持ちになったものである(まあ武田家の…ってとこも同じだし)。
 そしてその対比構造が後半色々なかたちで絡み合ってきて、そのあたりの話の運び方はかなり興味をひく。ばーちゃんの弔い合戦を行おうという男性陣にたいして、葬式の準備をすべきだろうという女性陣の考え方は私に言わせればずっと健康的でまともであるが、作品上ではむしろそちらのほうが愚鈍であるような描かれ方になる。男性陣は屋敷をぶっ壊しながら巨大なスーパーコンピュータやら自家発電機を乗せた船を運び込み、ヴァーチャルな世界で格闘ゲームを行う。現実的に考えれば正気の沙汰ではないが、それが世界を救うことと同義となってしまい、最終的にはそのスパコンを駆使して世界を滅ぼそうという悪の権化と花札勝負を行うという訳のわからなさ。前半で社会のインフラが混乱に陥っているときにばーちゃんがいちいち知り合いに電話を掛けまくってその混乱を収拾しようとしたのとは対比的に、後半ではかなり短絡的、あるいは分かりやすく「悪」を倒すことで平和はもたらされる。
 簡単に言ってしまえば、この作品では既に現実社会よりもヴァーチャルな世界のほうが優位なのであり、そしてそのヴァーチャルな世界ではある意味で極めてたやすく「世界」へ接続できるため、カズマやナツキのような個人(それも子ども)がたやすく世界全体を見渡すことを夢想するのであろう。
 別の言い方をするならば、これまでも「世界を救う」物語は無数に描かれてきたわけだけど、これほどまで容易に世界が危機に陥って、これほどまで容易に救われてしまうということはなかったということである。(A.I.)
posted by A.I. at 02:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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