2010年02月19日

『嫌われ松子の一生』

(この記事は2007年1月2日に書かれました)


『嫌われ松子の一生』

 中島哲也監督の前作『下妻物語』はすっごい好きな映画である。本作は典型的な女の転落物語ということなので、ちょっと観たくなかったのだが(こういう暗いのは好きじゃない)、とにかく評判が良いので観ました。

 泣けました。泣かされたよ。
 ある人物の死をきっかけに、その人物の生涯が複数の人物の回想によって浮かび上がってくるという形式は、オーソン・ウェルズの『市民ケーン』に似ていると言えるかもしれない。ただし、『市民ケーン』は大富豪となった人物の物語であるが、こちらは落ちに落ちた良いことなしの人生の物語。どちらがどうというわけじゃないけど、あまりに悲惨すぎて中島哲也のコミカルな演出じゃなかったらとても正視できなかっただろう。
 この作品はフィクションだが、実際に松子のような人生を歩んだ人もけっこういるんだろうなと思う。不器用で人の心に鈍感で信念もなく嫉妬深く善意の忠告は聞かずダメ人間にばかり惚れて自ら悪いほうばかり選択し、人生を転落してゆく。結局は自業自得なんだけど、それでも私はこうして転落してゆく松子をバカにしたりはできない。松子のように人との接し方や愛情の注ぎ方が下手で、それでいて寂しがり屋な女性はたくさんいるだろう。哀れだとも思わないけど、しかし自分もこういう人生を歩む可能性があるのではないかと微かに思う。

 そして若干考え込んでしまうのは、この物語が昭和を中心に繰り広げられていること。どんなに松子が転落人生を歩んでいるとしても、それを受け入れる受け皿が昭和の時代にはあった。だが、松子がテレビで小渕官房長官の掲げる「平成」と書かれた紙を観ているとき、彼女を受け入れる者は誰もいないのだ。松子は光GENJIの内海に夢中になるがその想いはこれまでと違い一方通行で、松子を受け入れるものは既にない。
 一度転落したらやり直すことのできない社会。われわれはそのようなリスキーでストレスフルな社会に生きているのだろうか。いかに転落してもせめて生きてゆくことは出来る、やり直すチャンスはある。そういう時代はもう来ないのだろうか。(A.I.)
posted by A.I. at 03:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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