2010年05月31日

アフター・カーニバル深夜便の今後について

 この前メンバーとスカイプで会議を行なって、深夜便の放送を今後どうするか、ということについて話をした。以下が決まったこと。

 まず深夜便の放送は今後も続けることにする(僕はしばらく休もうかと思っていた)。深夜便の放送の形態はustを使った生放送をメインとして、場合によっては録音による配信も行なう。

 一か月4週として、それぞれの週に話すことをジャンルで分けることにする。話すジャンルは以下の四つ。

1週目:マンガ
2週目:映画
3週目:本
4週目:アニメ

 5週目がある月については、上記の4ジャンルに収まらないものについて話すか、何か特別の放送を行なう予定。

 そして、それぞれの週に担当者を設置することにする(イワンさんにはまだ了承を取っていないのだが)。

マンガ:R
映画:A.I.
本:イワン
アニメ:SIZ

 放送を行なう曜日と時間帯は、担当者の都合に合わせるが、概ね週末(金曜日か土曜日)の深夜になる予定。

 今週末から早速始めるわけだが、最初はマンガ、『北斗の拳』について話す(土曜日の深夜)。詳しい告知はまた後日行ないます。(SIZ)

2010年05月30日

クローン・ウォーズ2

BShiで放映中のCW2がすごいことになっている。いや去年やってたCW1から通常のTVアニメを遙かに凌駕するクオリティに驚嘆させられていたし、毎回ほんとにワクワクさせられた。こんなこと大人になってからはめったにないことだ。映画版最終作にはほんとに息も継げなかったが。

闇の中でのライトセーバー戦は実写よりもスピーディで格好良く、ほぼどのエピソードともテンションMAXで繰り広げられる戦争・戦闘。

問題は第五話「砲火を抜けて」だ。このテンションの高さは過去最高な気がする。
エピソード2にも出てきたドロイド工場の拠点、惑星ジオノーシスを再制圧するため、共和国艦隊が正面から攻め入る。最初はすさまじい対空砲火の中、艦船及び強襲揚陸艦とバトルシップでただ目標地点へつっこんでいく。着陸計画なし。結果、撃ち落とされるような格好で地上に部隊は派遣される。その後も敵要塞への侵攻も各部隊間の連絡具合もほとんど行き当たりばったりに等しく、戦略もなにもあったもんじゃあない。ジェダイ=共和国軍にまともな司令官や参謀は存在しないようである。

だが・・・んなこたぁどうでもいいのである。
かつてこれほどまでに迫力のある「戦闘状況」を見たことは、実写を含めてほぼない。デジタル・アニメーションならではだろう。BGM含めてSWシリーズでも屈指である。

特にため息が出たのは、アナキンが手兵を率いて砲火をくぐり抜けながら攻撃目標へと砂丘を駆け上がっていくシークエンス。約30秒間、地上距離200Mくらいをカメラが部隊に併走するように追っていく。ワンカットである。遠景から入りクローズアップで終わる。アソーカが手前で見切れたかと思うと、また手前からフレームインして画面やや奥のアナキンに合流するという、おそらくセル時代では非常に困難な動きが入り画面に胸躍るダイナミズムが生まれる。
これだよこれ。日本だとこういった楽しみがあるのは宮崎駿かなあ。

それからSWシリーズは効果音が最高だ。特にバトルシップの低音やライトセーバーのブンブン音!だから四足四刀流のグリーバスが出てくると盛り上がる。CW1でのキット・フィストー戦は演出・殺陣含めてキレまくってた。 霧の中でぐるぐる回るグリーバスのライトセーバー!
スローモーションかかっておいしすぎたです。

バトルシップも普通の着陸じゃないとこがいい。前進から入って斜め後方にドリフトして止まるというクールさ。くすぐられるなあ。(R)
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2010年05月24日

Rさんの書いたマンガ記事まとめ

 この前、イワンさんの書いたマンガ記事のまとめを作ったが、同じ要領で、他のメンバーのマンガ記事もまとめてみたい。
 こんなふうに、ひとつのジャンルで記事をまとめてみると、それぞれのメンバーの特性が浮き出てくる。それぞれのメンバーが抱えている問題も見えてくる。
 今回、Rさんの記事をまとめてみて分かったことは、Rさんのマンガ記事は思っていたよりも数が少ないということ。それも2004年という時期に集中している。
 Rさんはもっといろいろとマンガの記事を書いているのではないかと思っていたのだが、そうでもなかったようだ。
 去年からの放送で、Rさんがマンガについて語った回が何回かあったので、その印象が強かったのかも知れない。(SIZ)


2004年2月23日、素晴らしい世界(浅野いにお)
http://after-carnival.seesaa.net/article/91819207.html

2004年2月25日、ササメケ(ゴツボリュウジ)
http://after-carnival.seesaa.net/article/66062571.html

2004年2月25日、6番目の世界(福島聡)
http://after-carnival.seesaa.net/article/66374896.html

2004年2月29日、自虐の詩(業田良家)
http://after-carnival.seesaa.net/article/72351592.html

2004年2月29日、塔の向こう(新海誠)
http://after-carnival.seesaa.net/article/72502173.html

2004年5月16日、ムカデ戦旗(森秀樹)
http://after-carnival.seesaa.net/article/88005609.html

2004年5月19日、墨攻(森秀樹、原作:酒見賢一)
http://after-carnival.seesaa.net/article/82972337.html

2004年6月5日、彼岸島(松本光司)
http://after-carnival.seesaa.net/article/66170419.html

2004年7月31日、あたしんち(けらえいこ)
http://after-carnival.seesaa.net/article/54129332.html

2004年8月1日、潜む声 鏡の中の遺書 その他の短編(松本充代)
http://after-carnival.seesaa.net/article/92083260.html

2004年8月1日、しあわせ(戸田誠二)
http://after-carnival.seesaa.net/article/92160234.html

2004年8月2日、しゃぼてん(野中英次)
http://after-carnival.seesaa.net/article/91932209.html

2005年8月29日、ドラゴン桜(三田紀房)
http://after-carnival.seesaa.net/article/109737976.html
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2010年05月16日

アフター・カーニバル深夜便(第四十五回)〜村上春樹『1Q84』のBOOK1とBOOK2を読む〜

 先日、『1Q84』のBOOK3について語った回を先に上げてしまいましたが、これは、その一週間前に収録した回(ちょうどBOOK3が発売された4月16日に収録)で、BOOK1とBOOK2について語っています。
 この時、僕はタルコフスキーの『惑星ソラリス』を見返したばかりだったので、この映画と関連づけて『1Q84』について語っています。『ソラリス』と『1Q84』に共通するテーマは「喪失」です。
 春樹の一連の小説において喪失というものがテーマになっていることは間違いないでしょう。『1Q84』においては、10歳のときの天吾と青豆の原体験という形で、その喪失が明確に描かれていると言えます。
 また、春樹の小説は、様々なサブカルチャー作品のことを連想させます。喪失の物語、純愛の物語という点で言えば、『恋空』、『CLANNAD』などの麻枝准のゲーム作品、新海誠のアニメ作品などを連想させますし、仮構の世界(もうひとつの世界)という点では、『ドラゴンクエスト6』や『電脳コイル』のことを連想させます(イワンさんは『ベルセルク』のことを連想したそうです)。
 僕は二つの月が見えるということに関して、この『電脳コイル』のことを思い出しました(この点に関しては録音した部分では語っていないですが)。『電脳コイル』の連想から、この『1Q84』が拡張現実という今日的な主題とも通じるところがあるのではないかと考えを進めました。
 『1Q84』がそうした現代的なテーマに関わっているとすれば、拡張現実の問題だけでなく、そこでは、監視社会、管理社会、情報化社会(特にネットの出現)といった一連の問題設定とも関わっていることでしょう。リトルピープルの存在はこうした現代社会の状況と絡んでいるのではないかということをここ最近の生放送では語ってきたのですが、そこで語ったり考えたりしたことをいずれちゃんと文章化する必要があると最近思っています。(SIZ)



(関連する過去の深夜便の回)
緊急特別企画:村上春樹『1Q84』BOOK3を読む
http://after-carnival.seesaa.net/article/147908339.html

2010年05月13日

アフター・カーニバル深夜便〜第7回生放送の告知〜

5月14日(金)深夜24:30〜(15日(土)0:30〜)
テーマ:ジョージ・オーウェルの『1984年』を読む

会場はこちら
(終了しました)


 これまで村上春樹の『1Q84』を読んできた連続企画の一環。
 前回は『アフターダーク』を読んで、監視などの問題について、さらには、リトルピープルと呼ばれる存在がどのようなものなのかということについて話したわけだが、その延長で、そもそもオーウェルのこの作品が何を描いていたのかということを問題にしたい。
 とりわけ、春樹の『1Q84』にどれだけ『1984年』の影を見出すことができるのか、というあたりを問題にしたい。(SIZ)
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イワンさんの書いたマンガ記事まとめ

 「現代マンガの潮流」シリーズのまとめ記事との関連で、イワンさんの書いたマンガ記事をまとめてみた。
 こんなふうに人単位でまとめてみると、当然のことながら、趣味とかこだわりとか、いろいろと見えてくるものがある。
 それぞれのメンバーごとにまとめを作ってみてもいいかも知れない。(SIZ)


2004年6月29日、げんしけん 4巻(木尾士目)
http://after-carnival.seesaa.net/article/52136596.html

2004年8月10日、ベルセルク 27巻(三浦建太郎)
http://after-carnival.seesaa.net/article/54016000.html

2004年8月11日、ジョジョの奇妙な冒険 18〜27巻(荒木飛呂彦)
http://after-carnival.seesaa.net/article/54559978.html

2004年11月11日、餓狼伝BOY(板垣恵介)
http://after-carnival.seesaa.net/article/102847888.html

2004年11月30日、ICHIGO 二都物語(六田登)
http://after-carnival.seesaa.net/article/149621119.html

2005年3月3日、ベルセルク 28巻(三浦建太郎)
http://after-carnival.seesaa.net/article/54274458.html

2005年8月15日、G戦場ヘヴンズドア(日本橋ヨヲコ)
http://after-carnival.seesaa.net/article/110260050.html

2005年8月22日、バキ外伝 疵面―スカーフェイス―(板垣恵介)
http://after-carnival.seesaa.net/article/110369491.html

2005年8月29日、ドラゴン桜(三田紀房)
http://after-carnival.seesaa.net/article/109737976.html

2005年9月1日、極東学園天国(日本橋ヨヲコ)
http://after-carnival.seesaa.net/article/110973183.html

2005年9月23日、シグルイ(作:南條範夫、画:山口貴由)
http://after-carnival.seesaa.net/article/111084027.html

2006年1月29日、悪鬼御用ガラン(山口貴由)
http://after-carnival.seesaa.net/article/114919917.html

2006年4月13日、孤独のグルメ(久住昌之・谷口ジロー)
http://after-carnival.seesaa.net/article/53403062.html

2006年4月25日、シグルイ 6巻(原作:南條範夫、漫画:山口貴由)
http://after-carnival.seesaa.net/article/122228533.html

2006年5月5日、NANA(矢沢あい)
http://after-carnival.seesaa.net/article/123127858.html

2006年10月17日、コミック昭和史(水木しげる)
http://after-carnival.seesaa.net/article/124930974.html

2007年7月26日、ヒストリエ 4巻(岩明均)
http://after-carnival.seesaa.net/article/132746464.html
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2010年05月12日

ICHIGO 二都物語(六田登)

(この記事は2004年11月30日に書かれました)

 マンガ。作者は『F』の六田登。

 殺人鬼が主人公のマンガは他にどれくらいあるのだろうか。本作と同じく「ヤングサンデー」に連載されていた『ザ・ワールド・イズ・マイン』がすぐに思い浮かぶ、というかこちらのほうが有名だろうが、僕は読んでいない。

 高校生のときに読みふけっていた。

 主人公・梅川一期の一生を描いた作品なのだが、その生涯は戦後・昭和という時代の流れに重ねられている。物語は戦後すぐから始まる。父・源ニ郎は梅川建設の二代目。少々無茶なやり方で、戦後社会を土建屋としてのし上がっていく人物だ。源二郎はエネルギッシュな男で、ただ金が目当てというよりは、その根本に、戦後社会を建て直したいという大きな夢を抱いている。だが、その長男・一期は赤ん坊のころに病気で片方の肺を除去したことが遠因となって、おかしな風に成長してしまう。人殺しである。

 図式的な作品ではあると思う。図式的というのは、作品がたんなる作者の思想伝達の道具になってしまっている状態であろう。

 殺人鬼と化していく一期と対比させて、梅川建設は順調に成長を続けていく。

 一期は「生きている実感がない」と漏らし、殺人を重ねることで生の実感を得ようとする。梅川建設を継ぐのは弟・利行だが、彼はガラス張りの都市・アメニティシティの建設に取りかかる。源二郎が良かれと思って取り組んできた戦後社会の構築の行き着く果ては、その後に生まれてきて、そこで生き始める者にとっては、実感が湧かない、空虚な空間にすぎなかったということだろう。物語の終わりも昭和の終わりと重ねられている。

 「一回壊れたものは、簡単には元に戻らない」と言う一期の身体と、戦争に負けた日本のあり方も重ねられている。また、影の主役はやはり源二郎で、一期は彼の負の部分を背負い、利行は正の部分を担おうとしている、というところも、容易に見て取れる。

 そして一期は世話になったヤクザの組長さえも殺し、「俺は俺の都をつくる」と言い、アメニティシティ爆破に臨むのである。

 この作品を換言するとこうなるだろう。

 戦後社会の発展は空虚なものでしかなかった。そこでは生の実感は得られない。

 このように作者のメッセージが作品の後ろ側に明確に見えてしまうのがこの作品の弱みだろう。一流の作品とはいえない。つまりわざわざマンガにしなくてもいいということだ。


 ……しかしそれがなんだというのか。

 この作品は1990年から1994年、いわゆる〈失われた10年〉のなかで書き継がれた。それまでの社会の流れの到達点、それが〈失われた10年〉だったとすれば、この作品は戦後史を描くことが目的なのではなく、それをとおして源二郎も一期も利行もいなくなった〈失われた10年〉の姿を見通そうとしているのだ。

 前述したように物語は昭和が終わり、平成を迎えるところで幕を閉じる。「平成」。この年号を初めて聞いたときの僕は小学生だったが、「ああ、これから世の中ずっと平和なんだな」という感想を抱いたのを覚えている。しかしそれは当然、それだけに留まらなかった。留まってはくれなかった。何も問題がない、ということは、以前A.I.氏も述べていたように、問題がないことが問題となって立ち現れてくるということだと、のちに実感することになる。

 そして少なくとも僕にとっては、どんな価値観も空虚なものと化し、どんな問題も相対化され、自分自身、生きている実感がもてないまま『ICHIGO』を読みふけっていた高校時代そのものが〈失われた10年〉だといえるのだし、それが今も僕を大きく規定しつづけているのだ。(イワン)
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「現代マンガの潮流」について

 「現代マンガの潮流」シリーズを並べて思ったことは、僕の好きな『ベルセルク』や『ジョジョ』がなくて、意外にスポーツマンガが多いことです。
 だからなのか、勝ち負けにこだわった内容が多いですね。

 人は、何らかの形で自分の中に、あるいは外に価値を見出していかなければなりません。そのままの自分でいることはできない。
 芸術なり、スポーツなり、その他の仕事なりの、何らかの手段を媒介してしか、人と交われないし、自分の中に価値を見出せない。
 そして、それが端的に表れる場面が、自分が賭けたものの成否がはっきりと判定される、スポーツなのかもしれません。

 そこで勝つことはもちろん大事です。それそのものに価値がある。
 しかし、では、負けてしまった者は? また、勝ち続けた先に何がある? その勝利に意味があるのか?といったように、価値観が相対化されてしまっているのが現在です。
 さらに、勝負のルールそのものという前提にすら疑いが生じる、何と戦えばいいのかがそもそも分からない、といった状況に、身動きがとれなくなるといったこともあるのではないでしょうか。

 このようなことから、この頃考えていたのは、月並みな問いですが、この判然としない世界の中で、人は、自分は、いかに生きるべきかといったことだったのかもしれません。
 よって、僕の中の源泉としては、いつか、ただマンガに関しての記事として書いた、六田登『ICHIGO 二都物語』が、「現代マンガの潮流0」としてあるのかもしれません。


 また、一つ心がけていたのは、とりあげるマンガは、「知る人ぞ知る」マニアックなマンガではなく、なるべく誰もが週刊誌(月間誌もありますが)で普段目にするようなマンガにしようということでした。
 マニアックなものでもいいのかもしれませんが、俗塵にまみれて、深く主題を掘り下げることが困難であるような種類のマンガの中にこそ、我々の現在を明らかにする何ががあるような気がしたからです。

 今は、時間がなくてあまりマンガを読めないということもあるのですが、ピンとくるものはありません。
 面白いものはあるのでしょうが、僕にとって切実な問題を描いたものは見当たりません。
 ただ、森田まさのりの『ろくでなし』から『べしゃり暮らし』までを一つの流れとして見てみるのはいいかもしれません。(イワン)
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2010年05月11日

「現代マンガの潮流」シリーズをまとめてみた

 昨日アップした過去記事「負けしか見えない――日向武史『あひるの空』」で「現代マンガの潮流」シリーズの過去記事は打ち止めになったので、この一連のシリーズをここにまとめてみたいと思う。記事を書いているのはイワンさんで、一部A.I.さんも書いている(しかし、日付をコピペしていて気づいたのだが、シリーズの第5回と第6回は同じ日に書かれているのか。当時のA.I.さんはすごいパワーだなあ…)。
 この一連のシリーズの続きというか現在についてイワンさんがどう思っているのか、ぜひ聞いてみたいところである。今度放送のテーマとして取り上げてみよう。(SIZ)


1、木尾士目『四年生』『五年生』『げんしけん』を読む(2004年5月25日、イワン)
http://after-carnival.seesaa.net/article/52134999.html

2、テーマを挟み撃ちする――井上雄彦『バガボンド』『リアル』(2004年5月29日、イワン)
http://after-carnival.seesaa.net/article/52513407.html

3、〈その他大勢〉のスポーツ選手たち――山田芳裕『デカスロン』から『ジャイアント』(2004年6月5日、イワン)
http://after-carnival.seesaa.net/article/52845756.html

4、尾崎豊の死――『ろくでなしBLUES』『今日から俺は』『湘南純愛組』(2004年6月6日、A.I.)
http://after-carnival.seesaa.net/article/52965933.html

5、ファンタジー3原則について(2004年8月11日、A.I.)
http://after-carnival.seesaa.net/article/54801689.html

6、愛ゆえに人は苦しまねばならぬのか?(2004年8月11日、A.I.)
http://after-carnival.seesaa.net/article/111799390.html

7、カート・コバーンの影――ハロルド作石『BECK』(2005年4月14日、イワン)
http://after-carnival.seesaa.net/article/122087705.html

8、ルキア解体――『武装練金』『BLEACH』『アイシールド21』(2005年6月23日、イワン)
http://after-carnival.seesaa.net/article/144642163.html

9、仕事で、死にたい―― ――安野モヨコ『働きマン』(2005年8月22日、イワン)
http://after-carnival.seesaa.net/article/146931442.html

10、我々の住む世界では……――木尾士目『げんしけん』(5巻、6巻特装版およびOFFICIAL BOOK)(2005年10月25日、イワン)
http://after-carnival.seesaa.net/article/147193053.html

11、見ることの欲望/欲望を見ること――山本英夫『のぞき屋』『殺し屋1』『ホムンクルス』(2006年5月11日、イワン)
http://after-carnival.seesaa.net/article/145923938.html

12、期待される野球マンガ像――ひぐちアサ『おおきく振りかぶって』(2007年1月30日、イワン)
http://after-carnival.seesaa.net/article/147756479.html

13、負けしか見えない――日向武史『あひるの空』(2007年4月18日、イワン)
http://after-carnival.seesaa.net/article/149408323.html
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2010年05月10日

負けしか見えない――日向武史『あひるの空』――(現代マンガの潮流L)

(この記事は2007年4月18日に書かれました)

 日向武史『あひるの空』で特筆すべきなのは一点である。それは、この作品が敗北しか描かないということである。

 主人公・車谷空の属する九頭龍高校のバスケットボール部は、発売されている単行本で見るかぎり、一勝もしていない。かつて、このようなスポーツ漫画があり得、また存在しただろうか? しかも「週刊少年マガジン」というメジャー少年向け漫画週刊誌において。主人公のチームが一勝もしない。これは少年マンガのセオリーを覆す行為で、ある意味では暴挙ですらある。常識から言うと、すぐに打ち切りになって当然だとも言える。それがここまで人気を博しているというのには当然、この作品の単体での面白さがあるのだが、ある文脈においてみるとその意義は一層明確になるようである。

 端的に言うと、その意義は、『あひるの空』が、井上雄彦『スラムダンク』後の流れにおいて生み出されたスポーツマンガの一つの到達点であるというところにある。『スラムダンク』では、桜木花道属する湘北バスケ部は、最強といわれる山王高校に勝利するのだが、その次の試合で負けてしまう。そこで井上が志向したものとは、敗北を描くことであり、それはいわゆる〈敗者の栄光〉を描きたいということとは異なることは、現在連載中の『バガボンド』『リアル』をみれば明瞭である。敗北、あるいは断念された勝利への道、それでもそのあとに残るものがあるのなら、井上はそれに目を向けようとしたのではないだろうか。これは当然、〈結果よりも過程が大事〉などという生やさしいものではない。なぜなら、勝利も敗北も、結果も過程も、お互いを存在証明の手段としているからだ。勝利ではないから敗北である、または敗北ではないから勝利であるというように。勝利がなければ敗北もなく、敗北がなければ勝利もない。井上の作品にも、『あひるの空』にも、勝利の喜びと敗北の悔しさは痛いほど描き込まれている。しかしそれでも、その先を見ようとしているのが、井上や日向ではないだろうか。

 しかし、『スラムダンク』の連載終了が示したものは、湘北の敗北という作品内の出来事であるというよりも、勝利と敗北の先にあるものに目を向けようとする姿勢そのものの敗北だったのではないか。また、もっともメジャーな少年向け漫画雑誌において、そのような姿勢は追究するべからずという教訓、時代の潮流だったのではないか。だからこそ、『バガボンド』は「週刊モーニング」で、『リアル』は「週刊ヤングジャンプ」で連載せざるを得なかったのではないか。

 この流れのなかで『あひるの空』を読むなら、それは『スラムダンク』を読んで描かれたマンガだということができる(ある登場人物が、『スラムダンク』を読んでバスケを始めたと言うシーンもあるが)。『あひるの空』は、勝利と敗北の先にあるものの追究と、それを追究する姿勢そのものを時代へ問うことの、二重の命題を背負って描かれている作品なのである。だから九頭龍高は勝ってはならないし、連載は「週刊ヤングマガジン」ではなく、「週刊少年マガジン」でなければならないのである。そしてそれはなによりも読者がそう望んでいるのである。『あひるの空』そのものの展開と同時に、敗北しか描かないスタンスの行き着く先を見たいという読者たちの願いが、この作品を支えているのである。

 また、この作品も平均的な公立高校のバスケ部を主人公チームに据えているが、そのリアリティについてはどうだろうか。他のスポーツマンガ同様、逸材が集まってきて、たった5人で全国制覇に向かうという構造をもつものだろうか。確かに、主人公の空の3ポイントシュートは抜群の精度を誇り、ドライブも秀逸であり、トビは天才プレイヤーである。しかし、当然体力は続かないので交代はするし、交代要員のメンバーがダメなら試合もダメである。体育館は他の部が使っているので毎日使えないし、合宿は学校でするしかない。顧問の先生はバスケなどとは縁のない生活指導の教員である。このあたり、既存のスポーツマンガで我々が醒めてしまう要素を排除しているようだが、これでもまだ嘘くさい部分、つまりそれでも奇蹟は起こるんでしょう?という突っ込みを入れる余地は残るだろう。しかし、そういう突っ込みを一蹴するのが、空の身長が著しく低い(150pに満たない)ことと、なによりこれだけ勝てる材料が少ないのだから、やっぱり負けるというところである。ここにおいて、我々は本当にこの作品の先を期待することになる。それは、いつかくる主人公の勝利ではない。勝利も敗北も問題ではない。この作品がいったい我々をどこへ連れて行くのか? その先に期待するとき、我々はまだこの世界に、自分自身に、期待する部分がわずかにでも残されているのではないかという予感をもつのである。(イワン)
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2010年05月06日

アフター・カーニバル深夜便〜第6回生放送の告知〜

5月7日(金)深夜24:30〜(8日(土)0:30〜)
テーマ:村上春樹『アフターダーク』を読む

会場はこちら
(終了しました)

『1Q84』を読む連続企画の延長戦。まずは『アフターダーク』を読む。『1Q84』とテーマ的に繋がりがある点について語ってみようと思っています。『アフターダーク』の次はオーウェルの『1984年』を読もうかな。


5月9日(日)午後2時〜
テーマ:東浩紀「情報自由論」について語る

会場はこちら
(終了しました)

前回公開読書会という形で行なった放送の後編だが、今回は読書会という形式ではなく、「情報自由論」について語るという形にしたい。ナリチカさんをゲストに呼んで語ります。(SIZ)
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2010年05月05日

「負け」の彼方

(この記事は2007年2月1日に書かれました)

 イワン氏の書いたエッセイ「期待される野球マンガ像」を読んで思ったことを少し書いてみたい。イワン氏の主張には大筋のところでは賛成するが、部分的には異論があるので、そのことについて書いてみたい。

 イワン氏は、今日の典型的な野球マンガと「今日の我々が野球マンガにおいて読みたいと思うポイント」との間のズレを指摘しているが、このズレというものはそれほど顕著には見出せないのではないだろうか? つまり、イワン氏が指摘する典型的な野球マンガの「リアリティのなさ」というところが、多くの読者にとって、果たして、そのマンガの欠点として立ち現われているのかどうか、というところに僕は疑問を持ったわけである。もっと言えば、果たして、われわれは、マンガというメディアのうちに、何かリアルなものを読み取りたいと思っているのだろうか、ということである。

 例えば、いわゆる「負け組」として自分のことを自覚している人が、そうした自覚をさらに強めることになるような作品を読みたがるだろうか? もちろん、そうした人はたくさんいるだろうし、そうした用途に合ったマンガもたくさんあることだろう。しかし、他方で、それ以上に、マンガという世界のうちに、リアリティのほとんどない夢物語を読みたい、という人もたくさんいるのではないだろうか?

 野球マンガにしろ、スポーツマンガにしろ、格闘マンガにしろ、そこにわれわれが読み取りたいことは、ある矛盾した、二つの欲望ではないだろうか? それは、自分の共感できるような平凡な人間がそこにいてほしいということと、その人間が特殊な人間であってほしい、というものである。どこにでもいる人間が唯一無二の才能を持っている人間であるというこの矛盾。この矛盾を解消してくれるのが、一連のマンガ作品ではないだろうか?

 僕は、こうした作品を読むときには、一定の距離を取って読んでいるが(こうした作品を楽しんで読んでいる一方で、それを分析して位置づけているという点で)、しかし、これらの作品を完全に否定する気にはならない。というのも、大まかに見れば、確かに似たような形式を持つ作品ではあっても、細かく見ていくと、個々の作品ではやはり大きく性質が異なる、ということが言えるからである。

 イワン氏の観点では、「負け」を描くということが、「勝つか負けるか」という枠組の中から外に出ることを意味しないように思える。枠組から外に出ないと、一度負けた者が再び勝利を目指して努力するというような、すでにいくつかある物語を生み出すことにしかならないのではないか? 「負け」を描くことは重要であるだろうが、さらに重要なことは、その先に進んでいき、別の問題の枠組を提示することではないだろうか?

 例えば、松本大洋の『ピンポン』には、確かに才能豊かな選手たちが登場するが、しかし、彼らを超人化していない点で(様々な葛藤を描き出している点で)、単に、「勝つ/負ける」という枠組以上のことを提示していないだろうか? さらに、ちばあきおの『プレイボール』は(この作品を僕はアニメで見たのだが)、確かに、イワン氏の提示する野球マンガの定型に当てはまる作品であるが、努力しても突き抜けられない壁を描いている点で、「負け」の彼方を描いていないだろうか?

 イワン氏の基本的な方向性には賛成するが、ある種の戦略としては、これまで行なわれていたのとは異なる作品の読み方をするということが、(新しい作品が出現するのと同等に)作品の方向性それ自体をも変えるということがありうると思うのだが、どうだろうか?(SIZ)
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2010年05月04日

アフター・カーニバル深夜便(プロレス特集その4)〜プロレスにおける異種格闘技戦について〜

 今回のテーマはプロレスにおける異種格闘技戦について。あらゆるジャンルの格闘技選手と闘うことができたという点で、プロレスは、言うなれば、普遍的なフォーマット、あるいは、共通の場を(擬似的にでも)確立していたのではないか。プロレスとはあらゆる格闘技を包含する上位カテゴリーの名だったのではないのか。
 こうした共通の場が、様々な場所で、崩れてきているのが現在であるとすれば、そこにプロレスの衰退の問題を見出すことができるのではないか。

 プロレスの衰退と大きな物語の崩壊とをパラレルに考えてきた連続企画も第4回目になりましたが、今回をもって、プロレス特集は、ひとまず、ひと区切りにしたいと思います。
 しかし、プロレスについては十分に語った、などとは到底言えないレベル。プロレスについて語りたいというナリチカさんの熱意もおそらくまったく冷めていないことでしょう。なので、今後は、新しく仕切り直して、生放送という場で、この特集を定期的に行っていこうかと思っています。
 続報に期待してください。(SIZ)



(参考動画)
猪木の異種格闘技戦の歴史
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5218453
80年代から前田日明VSドン・中矢・ニールセン
http://www.nicovideo.jp/watch/sm4129151
90年代から武藤敬司VSペドロ・オターピオ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3901592

(関連する過去の深夜便の回)
プロレス特集その2:アントニオ猪木について
http://after-carnival.seesaa.net/article/143030897.html

2010年05月02日

アフター・カーニバル深夜便〜第5回生放送の告知:80年代のゲームを振り返る〜

5月2日(日)夜23:30時〜
放送一周年記念特集(その2):80年代のゲームを振り返る

会場はこちら
(終了しました)


 この前の水曜日に行なった放送の続き。
 水曜日のときには基本的な方向性を示しただけで、具体的に何かを論じるところまで話が進まなかったと言えます。今回はゲームに限定して話を具体的に進めてみたい。
 つまるところは、ファミコンについて語ることになると思います。この前の放送のときに提出した、95年以前以後の問題も、もう少し詰めてみたいところ。(SIZ)
posted by SIZ at 00:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 生放送の告知 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『1Q84』月間、終了のお知らせ

 昨日(金曜日の深夜)に深夜便の生放送で村上春樹の『1Q84』についてイワンさんと語ったわけだが、その場で話したように、『1Q84』を、それ単体で、生放送で語るのはもう終わりにしようと思っている。

 僕個人のことを言えば、『1Q84』に関しては、もう語り尽くしたところがある。今後『1Q84』について語ることがあったとしても、それは、他の作品との関わりにおいてであったり、村上春樹の作品をトータルに捉えるとか、そういう形でしかないだろう。

 当然のことながら、他のメンバーが『1Q84』について語りたいと言ったら、すぐにその場をセッティングするつもりだ。Rさんは今現在『1Q84』を読み進めているところだろうし、A.I.さんもいずれ3巻を読むことだろう。

 昨日の放送は録音しなかったので、僕が『1Q84』について何を語ったのかということは聞いていた人の記憶にしかないわけだが、それをすべて文章化するのは面倒な作業だし、文章化するのが面倒だから放送を行なっているところがある。

 しかし、やはり文章でも何か書いておきたいという思いはある。

 そこで、ポイントになりそうなところ、これから生放送で行なっていきたいことに関わることを少しだけ書くと、僕は、この『1Q84』がジョージ・オーウェルの『1984年』とどのような関係にあるのか、ということに興味がある。簡単に言ってオーウェルの『1984』が未来の管理社会を描いていたとすれば、同じテーマがやはり春樹の『1Q84』にも見出せるのではないか。

 端的に言って、監視の問題が『1Q84』でどのように描かれていたのか、ということに興味がある。「ビッグ・ブラザーが見ている」という管理社会(監視社会)の問題が『1Q84』においては「リトル・ブラザーが見ている」というふうに変化していることは間違いない。この変化をどんなものとして考えることができるのか。

 こうした点を考えるにあたって、オーウェルの『1984』を読むというのもいいのだが、その前に春樹の『アフターダーク』を再読してみたいという思いに駆られた(『アフターダーク』は発売当時、会合でみんなで読んだ)。『アフターダーク』においても監視することの問題、見ることの問題というものが提示されていた。

 イワンさんが放送で指摘していたように、『アフターダーク』における一人称複数の人称も気になる。一人称から三人称へ、という春樹の移行に関して、この一人称複数をどのように考えることができるのか。

 『1Q84』について語っているうちに、このような問題が出てきたので、次の金曜日深夜の生放送では、このあたりのことを問題にしようと思っている。しばらくは「『1Q84』を読む」の延長戦になるだろう。(SIZ)

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