2010年03月31日

ノストラダムスを少々

(この記事は2005年9月15日に書かれました)

 最近、岡崎京子の興味深いマンガを読んだ。『好き好き大嫌い』という短編集に収録されている「老人少年」という作品である。

 この作品の主人公は中学生の男の子で、12歳にしてすでに老成してしまっている男の子である。彼は、同学年の子たちとは感性がまったく合わず、老人を見て「カッコイイ」と感じる。彼はすでに自分が長生きしたと感じ、これから大人になることにうんざりしている。13歳の誕生日を迎えたとき、彼は残りの人生を余生として過ごすことに決める。

 注目すべきは、この作品が80年代の後半に描かれたということである。そして、この作品の雰囲気は、まさに、80年代の雰囲気そのものだと言える。

 そして、もっと注目すべきところは、この作品に出てくるノストラダムスのちょっとした引用である。友人と将来について語り合っている場面で、主人公とその友人は次のような会話を交わす。

「オレ達が27になる頃って、ちょうど21世紀になんだよ」
「げー! 2001年! その頃、オレ達どーしてんのかなあ。サラリーマンしてたり、結婚してたりすんのかな」
「ダイジョウブだよ。その頃って大地震が来てて、みんな死んでるよ、きっと」
「あ、そうか」

 この会話の背後には、1999年にカタストロフの到来を予言したノストラダムスの存在があることは間違いないだろう。しかし、上記の会話にノストラダムスの名前が出ていないことから考えて、70年代に端を発し、80年代に花開いた一連の終末論は、ノストラダムスの影響(あるいは、その当時、ノストラダムスを日本に紹介した五島勉のような人たちの影響)というよりも、時代的な雰囲気そのものと考えたほうがいいだろう。つまり、ノストラダムスが終末論をもたらしたのではなく、時代的雰囲気がノストラダムスを呼び寄せたのである、と。

 しかし、それにしても、上に引用した一連の会話は素晴らしいものだ。自分たちが27になるとき、ちょうど21世紀になるという友人の発言に対し、主人公は「げー!2001年!」とうんざりする。「21世紀なんて、もう結構」とでも言うようなこの感覚が、主人公の老成を引き起こしている。加えて、その頃、自分は何をしているかという不安に対して、友人は「ダイジョウブだよ」と語る。「その頃はみんな死んでる」と。いったい、なぜ、将来について考えることが不安なのだろうか? それは、彼らがこのまま生き続けることが極めて苦痛であるからではないのか? なぜ苦痛なのだろうか? それは、将来、何か新しいものが到来する予感がまったく抱けない、ということだろう。現在が永遠に続くこと、それこそが、彼らが自分の将来に不安を抱く原因であり、だからこそ、カタストロフがそうした不安を和らげるものとして機能しているのである。

 僕は、以前から、ノストラダムスの予言したカタストロフは、人々に不安と恐怖を与えたというよりも、一種の救いをもたらすものとして期待されていたのではないか、というふうに考えている。つまり、大地震のようなカタストロフは、もっと深刻な、別種のカタストロフを避ける役目を果たしているのではないだろうか? そのもうひとつのカタストロフというのが、先にも述べたように、現在が永遠に続くというものである。のっぺりと平板化された日常生活が永遠に続くこと。この生活は地獄めいたものであり、人類滅亡といった一瞬にして起こるカタストロフは、そうした地獄に対して救いをもたらすものと言えないだろうか?

 もし、このマンガの主人公と同じような感覚を持っている男の子が実際にいたとすれば、その男の子は、現在、暗澹たる生活を送っていることだろう。鶴見済は『完全自殺マニュアル』(93年刊)の前書きで、次のようなことを述べている。「これでやっとわかった。もうデカイ一発≠ヘこない。22世紀はちゃんとくる(もちろん21世紀はくる。ハルマゲドンなんてないんだから)。世界は絶対に終わらない」。「22世紀はちゃんとくる(もちろん21世紀はくる)」というふうに、おまけみたいに語られている「21世紀」に現在われわれは生きているわけだが、こんなふうに21世紀が軽く見られているのは、それ以前の時代で、21世紀というものが輝かしい未来として人々の目に映っていたからであろう。その点で、未来への期待とカタストロフへの期待とはコインの表と裏だったと言える。というのも、どちらにしろ、問題となっているのは、現在とは別の局面にわれわれが移行すること、現在とは切断された未来がそこに待ち受けているということだからである。

 こんなふうに考えてくると、現在においても、終末への期待は、まだまだ衰えていないと言えるだろう。というよりも、何かに期待できるとすれば、そんなものしか残っていないのではないだろうか? あるいは、日常生活において何かを期待することを諦めて、虚構の世界でそれを実現しようとするオタク的な方向性が今後の主流な生き方になるのかも知れない。だとすれば、今後、日本は、主要な産業として、世界に向けて「夢」を売り続けることになるだろう。それは、一時期、ハリウッドが売り出した「夢」とは別種の「夢」、極めて個人的な「夢」である。

 「夢を見るべし」というのは現在においても主要な道徳的命令である。しかし、ここで言う「夢」とは別の「夢」が今後は大いに供給されることになるだろう。人々が夢を見続けることによって巨大な機械が存続可能となっているという『マトリックス』の世界。この世界は現在の世界そのものと言っても過言ではないだろう。われわれの世界は日常生活の世界と夢の世界と二分しているのである。そして、われわれにとって最も耐え難いのは、おそらく、日常生活の不毛な砂漠に直面することなのだろう。(SIZ)
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2010年03月29日

アフター・カーニバル深夜便(第四十二回)〜「神の子どもたちはみな踊る」と「アイロンのある風景」を読む〜

 前回に引き続き、今回もまた村上春樹の短編集『神の子どもたちはみな踊る』の中から二作品を取り上げて語っています。前回取り上げた二作品、「かえるくん、東京を救う」と「蜂蜜パイ」も織り交ぜながら語っています。
 春樹はこの短編集についての解題(下記リンクを参照)で、95年に起きた二つの出来事(阪神大震災と地下鉄サリン事件)について、次のように言っています。「僕は1995年の初めに起こったこのふたつの大事件は、戦後日本の歴史の流れを変える(あるいはその転換を強く表明する)出来事であったと考えている。その二つの出来事が示しているのは、我々の生きている世界がもはや確固としたものでもなく、安全なものでもないという事実である」。
 この点で、放送の中で何度か取り上げた「根がない」という言葉が問題になります。これは、生き方のレベルにおける不安定さを指し示しているのではないかと思います。そして、この短編集では、複数の人間の複数の生き方を提示することによって、ひとまずは動揺の諸相を描き出しているのではないかと言えます。
 それでは、いったい、出口はどこにあるのか、という問いの答えを軽々しく言うことはできないでしょう。何らかの形でオルタナティヴについて考えていかなければならないのが現在だと言えますし、逆に考えれば、自由な発想が次々と出てくる可能性を秘めた時代になったとも言えます。
 アフタ・カーニバルとしても新しい可能性を何か具体的に見出したいと思っています。(SIZ)




(参考)
『神の子どもたちはみな踊る』についての春樹自身による解題
http://www.sam.hi-ho.ne.jp/s_suzuki/html3/book_kamino.html
ラジオドラマ 「After the Quake」(英国アート生活)
http://loki-art.jugem.jp/?eid=482

(関連する過去の深夜便の回)
第四十一回:「かえるくん、東京を救う」と「蜂蜜パイ」を読む
http://after-carnival.seesaa.net/article/144125750.html

2010年03月25日

ルキア解体――『武装練金』『BLEACH』『アイシールド21』――(現代マンガの潮流G)

(この記事は2005年6月23日に書かれました)

(はじめに)
A.I.氏およびブラッドに捧ぐ


 僕もブラッドに負けじと、『BLEACH』は全巻読破して連載に追いつき、現在『アイシールド21』を観賞中です。それにつけても思うのは、連載終了した『武装練金』の和月伸宏、つまり上記二作品よりも少し前の時代の作家との違いです。和月と新しい作家たちを比べたときに感じるのは、表現方法のちがいです。なにがどう違う、とはっきりは言えないのですが、新しい作家たちのものでは、とにかくキャラがよく動く。コマ割、アングル等のなせる業だとおもうのですが、新しい作家たちに比べて、和月マンガはキャラの動きが「固い」。

 決定的なのは、主人公が大槍を振り回す『武装練金』で、「エモノが大きすぎるのでコマに収まりきらない」と苦心していた(そして実際見せづらそうだった)和月にたいし、同じ大剣を振り回す『BLEACH』では難なくそれを描いている、というところです。

 さらに、『武装練金』では必殺技の見せ方が、その名前を叫びながらキャラがポージングしているという、いわゆる『聖闘士星也』流なのにたいし、『BLEACH』ではそれがない、あったとしても心に残らないというところも決定的な違いです。ようするに『武装練金』の必殺技の描き方は「ダサイ」と思ってしまうのです。

 また、単行本でのファンサービスのあり方もかなり違います。『BLEACH』もいろいろと本編以外に単行本ならではのお楽しみを用意していますが、これが顕著なのは『アイシールド21』です。これは徹底的で、カバーを外したとき、表紙の絵がカバーとは違う点をはじめ、巻末でちょい役の脇役にいたるまで設定を紹介しています。さらに単行本での加筆訂正の多さ。しかもこれらを押しつけがましくなく、特に告知もせず、さらっとやってのけるところがすごい(原作者付きということから可能な部分もあるのでしょうか)。

 これにたいし、和月も和月なりに、ファンサービスは充実しているといえます。しかし、問題なのはそのあり方です。和月は単行本の巻末で「あの回のあの部分はこう書きたかった、こう苦しんだ」等、いわゆる〈楽屋オチ〉に走る傾向が顕著です。これはこれで非常に興味深く、好感ももてるのですが、多分に同人誌的です。作家自身と読者が一体化していこうという昔の「マンガを描くのが辛い、でもマンガが好き」といった、岡田あーみん的な作家像が横溢しています。

 『BLEACH』『アイシールド21』は、自身は同人誌的にならず、同人誌的な二次創作を誘発していく要素を、その徹底的な描き込みによって周囲に提供していくだけです。こういう読者に媚びないあり方のほうが、戦略としては優れていると言わざるをえません。

 ヒロインの描き方も対照的です。対照的というからには、類似点もあります。『武装練金』の斗貴子と『BLEACH』のルキアは、ともに異世界からやってきて、主人公に戦う力を与えるという点では同じです。が、そのぶん違いも目に付きます。

 造形についてですが、斗貴子は練金の戦士というだけあって、顔に真一文字の傷があります。思い切ったことをやったものだと思いますが、綾波レイ以降の、いわゆる〈傷ついた少女〉という流れからみれば、やはり技巧的というか、理屈で考えて生み出されたキャラだという限界を感じざるをえません。

 たいしてルキアは貧乳・やせっぽち、そしてなんだか目が暗そうで、これまでのヒロイン像には当てはまりません。また、主人公の部屋の押入に住んでいるあたり、ドラえもんスレスレのラインに立っています。井上織姫という準ヒロインもいるのですが、こちらは巨乳・天然ということで、徹底的にヒロインの王道を歩んでいますが、意図された対照でしょう。織姫も魅力的なキャラであるのにちがいはないのですが、不思議にルキアのほうが魅力的に思えてきます。これもおそらくは意図された対照であると思われます。

 そしてなにより明確にちがうと感じるのは、主人公との恋愛関係の結び方です。

 『武装練金』の斗貴子は、きりっとして厳しいキャラながらも、主人公と恋仲になっていくであろうことは、かなり序盤から要所で強調されています。つまり予定調和的で、その時点で読者は少し飽きてしまいます。が、『BLEACH』のルキアはそのおよそのヒロイン像からはほど遠い造形に加えて、主人公との恋愛関係への発展を、ぎりぎりのところで匂わせません。まったくない、というわけではなく、ほんとうにぎりぎりのところで、予定調和的なカップルになるのを回避させています。そして当然、『BLEACH』のほうがかえって読者は主人公との行く末が気になってしまうものでしょう。

 以上のように、旧時代の作家と新時代の作家の違いを痛感している今日このごろです。


(P・S)
どのへんが「ルキア解体」なのかよくわかりませんが、題名はノリです。(イワン)
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2010年03月24日

名人がコンピュータに負ける日は来るのか?

(この記事は2005年7月31日に書かれました)

 1997年にIBMが開発したスーパーコンピューター「ディープ・ブルー」がチェスの世界チャンピオン、ガルリ・カスパロフに勝利するという事件が起きた。今では、チェスアルゴリズムの改良およびパソコンの計算能力の向上によって、一般消費者向けのチェス対局ソフトが人間のトッププレーヤーに匹敵するようになってきているらしいが、このニュースが流れた当時、日本のコンピュータ将棋はアマチュアの精々1〜2級というレベルで、少なくとも将棋でコンピュータが人間に勝てる日は永遠に来ないような気がしていたが、現在のコンピュータ将棋の棋力はアマの5〜6段レベルと言われていて、少なくともぼくなんかでは全く勝てないレベルに達している。特に強いと言われるのが東大将棋と激指と言われるソフトで今年世界コンピュータ将棋選手権で優勝した激指は、アマ全国大会に招待され、ベスト16まで勝ち進んだというから相当の実力である。さらに最近ではボナンザというめちゃくちゃ強いフリーソフト(激指や東大将棋と同じレベル)が現れるまでになっている。(A.I.)
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2010年03月22日

棋譜に著作権はあるか?

(この記事は2005年7月31日に書かれました)

 これは如何にもネットが普及してからの問題という感じがするが、最近棋譜に著作権を認めるかどうかという話題がネット上のあちことで沸き上がっている。棋譜というのは要するに将棋の対戦記録みたいなもので、これがあるから江戸時代にどのような将棋が戦われたかも分かるし、次々と編み出される新戦法も棋譜を研究することによって生まれるのだから、棋譜というのは将棋指しにとってはなくてはならないものなのである。

 棋譜に著作権を認めるべきだという派の根拠となっているのは、著作権法第2条第1項における「著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。」という文言である。認めろ派は棋譜は対局者による思想や感情の表現であり、将棋は芸術の一分野であるという考え方を採っている。これに対して認めない派は棋譜は事実の記録に過ぎず、これを著作権として認めるのならば野球のスコアブックにも著作権を認めなければならないということになるし、また先行する棋譜と同一の手順で同一の局面があらわれたとき、その棋譜は著作権を侵害していることになるのかという疑問が残ると述べている。

 また海外においてはチェスの棋譜は一般的に著作権は認められておらず、どちらかというと著作権はないという意見のほうが有利のようだ。ぼく自身も棋譜に著作権などないと思っていて、しょっちゅう色んな所から棋譜をダウンロードしている。やはり将棋はゲームであり、その棋譜はゲームの記録でしかない。仮に著作権を認めるとすると例えば新戦法を編み出した場合、その発案者に排他的にその戦法の使用を認めることにもなりかねず、ゲームとしての面白さを損なう可能性も十分にあり得る。何より強くなるためにはより多くの棋譜を検討することが必要なので、将棋界の発展を思うならば棋譜の著作権など主張しないほうが良いのである。

 実際に日本将棋連盟は今のところ棋譜の著作権を主張することはしていないが、ただ棋譜集の販売は連盟にとって大きな収入源のひとつなので苦しいところであろう。一方、囲碁の日本棋院はHP上でも明確に棋譜は著作物であると述べていて。これはいずれ問題になるんじゃないかとぼくは思っている。(A.I.)
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2010年03月20日

アフター・カーニバル深夜便(第四十一回)〜「かえるくん、東京を救う」と「蜂蜜パイ」を読む〜

 今回は久し振りに村上春樹の小説を読みます。『神の子どもたちはみな踊る』に収録された短編のうちの二作品です。
 これまでアフター・カーニバルでは村上春樹の長編小説を中心に、『風の歌を聴け』から順番に読んできて、ひとまず『アンダーグラウンド』まで読み進めてきたことになります。順番的に言うと、『スプートニクの恋人』を飛ばしたことになりますが、この流れから今回、『神の子どもたち』を読むことになったと言えます。
 90年代以降の春樹においては、春樹自身が語っているように、デタッチメントからコミットメントへの移行の問題があります。そのことが如実に示された出来事として、95年の地下鉄サリン事件と阪神・淡路大震災があります。『アンダーグラウンド』がサリン事件にコミットしたテキストだとすれば、『神の子どもたち』は阪神大震災にコミットしたテキストだと言えるでしょう。
 村上春樹を再読するという企画も滞っていますが、来月には『1Q84』の第3巻が出るわけですし、村上春樹を読む企画は改めてちゃんと行なう必要があると思っています。少なくとも、来月は、去年とは違って、ちゃんと『1Q84』を読む企画を立ち上げる予定です。
 アフター・カーニバルの活動それ自体について反省を加えるためにも、春樹をどう読むかという問題は考え続けていく必要があると思っています。(SIZ)




(関連する過去の記事)
村上春樹研究会としてのアフター・カーニバル
http://after-carnival.seesaa.net/article/120699023.html
村上春樹覚え書〜『ねじまき鳥クロニクル』解読のために
http://after-carnival.seesaa.net/article/95463684.html

(関連する過去の深夜便の回)
第二十二回:村上春樹の「七番目の男」を読む
http://after-carnival.seesaa.net/article/130034782.html
http://after-carnival.seesaa.net/article/130138074.html
第十四回:村上春樹を再読する:『風の歌を聴け』
http://after-carnival.seesaa.net/article/124839409.html
http://after-carnival.seesaa.net/article/125312125.html

2010年03月19日

女流棋士について

(この記事は2005年7月31日に書かれました)

 その昔の朝日新聞で女流棋士の「女流」という語は差別だという記事が載った。これはフェミニズムの文脈から出てきたのだろうけど、なぜ「女流作家」という言い方をするくせに「男流作家」とは言わないんだ、差別だという議論があったように思う。上野千鶴子、富岡多恵子、小倉千加子が鼎談した『男流文学論』なんかはそういうところから出てきた本だったのだろうが(ちゃんと読んだことないけど)、それにしても確かに女流という言い方が変なのは分かるが対抗して男流と言ってやろうというのは何て言うか寂しい発想である。しかしそれはともかくとして、この朝日の記事は明らかに事実誤認であって、少なくとも日本将棋連盟は「女性棋士」を否定しているのではない。他の(男性)棋士と同じように奨励会の昇段試験を勝ち残っていくのであれば、性別や国籍に差別されることなく(年齢制限はあるが)誰でも棋士になることはできる。その場合、女性であっても男性であってもれっきとした「プロ棋士」であり、「女流」という言い方をされることはない。しかし今現在のところそういう意味で正式に女性のプロ棋士は出ていない。「女流プロ棋士」というのは女流棋士会という女性だけで作られた将棋指しの会のプロ規定であり、だから日本将棋連盟の定めるプロとは基準も実力も異なるのである。

 実際、男女の将棋の実力差は少々埋めがたいものがあって、近年になって徐々に女流棋士も男性棋士に勝てるようになってきたが、それでも勝率は2割程度。それも勝負になるのは清水市代、中井広恵の2トップと斎田晴子、それに55年組(昭和55年生れの若手)と言われる千葉涼子、矢内理絵子、石橋幸緒の6人くらいなものである。現在女流初段の岩根忍は一昨年奨励会を1級で退会したが、これが今のところ奨励会で女性が一番上に行った記録で、岩根に比べると上記の6人は強いので女流のトップの実力は大体奨励会の初段〜3段くらいということになるだろう。

 なぜ女性は男性に比べるとこうも将棋の力が劣るのかというのはなかなかに興味深い問題だと思う。これについてはよく女性の性格が問題にされるが、おそらくそういうこととは無関係だろう。なぜなら同じく歴史の古いボードゲームである囲碁に関して言えば、将棋ほどに男女の実力差は開いていない。美人で有名な囲碁の梅沢由香里は五段でトップとまではいかないものの男性棋士と比べても遜色はない。確かにこれも囲碁というゲームが女性の性格に合うからだろうと言えば言えなくもない。囲碁は将棋のような荒っぽさがないし(もともとは仙人によって行われたと言われるゲームだし、日本でももともとは貴族の遊びだった)、賭け将棋のようなヤクザなことは囲碁では行われない。女性に向いているように見えなくもない。が、仮にそういう面があるにせよもっと大きい要素があるように思われる。それは要するに競技人口の差で、将棋というのは日本人男子であれば上手い下手はあるにせよ動かし方くらいは知っていることが多いのに対し、囲碁は男女ともにルールを知っている人はかなり少ないのである(ルール自体は囲碁のほうが単純であるにもかかわらず)。おそらくはこの差が将棋のプロ棋士の差にもあらわれたのだと思う。

 しかしまあ何にせよ今後将棋界が発展していくかどうかは女性ファンを増やせるかどうかにかかっているので(その点で将棋は囲碁に遅れをとった)、女流棋士が強くなってくれることは棋界にとっては歓迎すべきことなのである。その点で、今期初のタイトル獲得となった千葉涼子女流王位や、13歳という若さで女流棋士となり出雲の天才少女と言われた里見香奈女流2級には期待するところが大きい。(A.I.)
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2010年03月18日

『サマーウォーズ』

 『サマーウォーズ』(細田守監督)を観た。

 田舎の風景とヴァーチャルリアリティ、一人っ子で核家族の主人公といかにも田舎的な大家族のナツキ一族、という具合な対比構造があり、その見せ方が上手い。私自身ナツキんとこよりはむろん小規模ではあるが、田舎にいくと基本あんな感じなのでずいぶん懐かしい気持ちになったものである(まあ武田家の…ってとこも同じだし)。
 そしてその対比構造が後半色々なかたちで絡み合ってきて、そのあたりの話の運び方はかなり興味をひく。ばーちゃんの弔い合戦を行おうという男性陣にたいして、葬式の準備をすべきだろうという女性陣の考え方は私に言わせればずっと健康的でまともであるが、作品上ではむしろそちらのほうが愚鈍であるような描かれ方になる。男性陣は屋敷をぶっ壊しながら巨大なスーパーコンピュータやら自家発電機を乗せた船を運び込み、ヴァーチャルな世界で格闘ゲームを行う。現実的に考えれば正気の沙汰ではないが、それが世界を救うことと同義となってしまい、最終的にはそのスパコンを駆使して世界を滅ぼそうという悪の権化と花札勝負を行うという訳のわからなさ。前半で社会のインフラが混乱に陥っているときにばーちゃんがいちいち知り合いに電話を掛けまくってその混乱を収拾しようとしたのとは対比的に、後半ではかなり短絡的、あるいは分かりやすく「悪」を倒すことで平和はもたらされる。
 簡単に言ってしまえば、この作品では既に現実社会よりもヴァーチャルな世界のほうが優位なのであり、そしてそのヴァーチャルな世界ではある意味で極めてたやすく「世界」へ接続できるため、カズマやナツキのような個人(それも子ども)がたやすく世界全体を見渡すことを夢想するのであろう。
 別の言い方をするならば、これまでも「世界を救う」物語は無数に描かれてきたわけだけど、これほどまで容易に世界が危機に陥って、これほどまで容易に救われてしまうということはなかったということである。(A.I.)
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2010年03月17日

瀬川晶司アマのプロ編入試験について

(この記事は2005年7月31日に書かれました)

(「将棋のこと」と題されたA.I.氏の記事を分割して投稿したのと同じように、「将棋のこと・再」と題された続編記事も分割して投稿することにする)

 前に将棋について書いたとき、ぼくは羽生が6冠くらいになるだろうと思っていたのだけど、その後森内との名人戦は最終戦までもつれ込む激戦の上、4−3で森内が防衛し、続いて行われた棋聖戦でも最終戦までもつれ込み、3−2で佐藤康光が棋聖を防衛している。そして現在行われている王位戦ではやはり佐藤康光相手に二連敗という出だしで、羽生もここのところ不調のようだ。おまけに今度行われる王座戦の挑戦者がまたも佐藤康光ということで、羽生の時代は終わった、これからは佐藤・森内の時代という人も多いようだ。

 が、羽生の知名度には敵わないものの、羽生・森内・佐藤は小学生時代からのライバルであったのであり(当時はこの三人を指してチャイルド・ブランドと言っていた)、ここに来てにわかに森内・佐藤が強くなったわけではない。

 というわけだかなんだかで将棋の話題。


 将棋というのはとにかくプロとアマチュアの実力の差が大きいゲームである。これはプロとアマの段の違いを比べてみると分かるのだけど、こんな感じになっていると思って頂きたい。

○プロ     ○アマ     ○女流
 名人      
 A級(10名)  
 B1級     
 B2級     
 C1級     
 C2級     
○奨励会             
 3段               
 2段              4段
 初段              
 1級               
 〜       〜       
 6級      4段      〜
         〜       2級 
         初段
         1級
         2級(ぼくはこれくらい)
         〜
         10級

 つまりプロの養成所である奨励会の一番下の6級が大体アマでは3〜4段程度と言われ、このレベルであればアマでは相当強いということになる。ぼくは大体2〜3級くらいだがそれでも学校では一番強かったし、高校の頃の将棋同好会の顧問の先生は5段で、この人は地元の将棋愛好者たちのあいだではちょっとした顔であった。このような地元の将棋道場で1,2を争う実力の持ち主を小学生の頃にあっさり負かしたというくらいでないと奨励会には入れない。地方では神童と言われた小学生たちが奨励会に入るとただのガキでしかなくなるというのがプロの世界であり、将棋のプロになるというのはそれくらいに狭き門なのである。さすがにアマでも全国クラスの実力となるとプロと比べても遜色ないほどになってくるが、それでもプロと実力勝負をして勝てるというほどではない。これまで将棋の歴史においてアマチュアでありながらプロを凌ぐ実力を持ったと言われるのは「東海の鬼」と言われた真剣士(賭け将棋を生業とするひと)花村元司とやはり真剣士の小池重明くらいだと思う。花村は1944年に行われたプロ編入試験に合格して(6局指して3勝以上で五段合格という条件で、4勝2敗)、プロになった。小池のほうは4,5段陣相手に相当の勝率を上げていたらしいが、この人はたぶん根っからのアウトサイダーだったのだろう。プロにはならなかった。

 今回の瀬川晶司は花村や小池とは違ってもともと奨励会に所属していた将棋エリートである。瀬川は奨励会で3段まであがったのだがその後年齢制限に引っ掛かって退会。しかし将棋に対する情熱を失わず(多くの場合奨励会退会者はその後将棋をやめてしまう)、働きながら(確かNECの関連会社に務めていたんだと思う)アマチュアとして数々の棋戦に参加しプロ相手にかなり高い勝率を誇っていた。今回のプロ編入試験は、今なおプロになりたいと希望する瀬川の嘆願を受けて日本将棋連盟が用意したもので、アマからプロへの編入試験が行われるのはだから花村以来2回目のことということになる。むろんはっきり言って収入はサラリーマンよりも(トップクラスにでもならない限り)プロのほうが低いので、もし安定した生活を選ぶのであればアマのままでいるほうが良いに決まっているのだが、それでもなおプロになりたいという瀬川の情熱には胸を打たれる。是非頑張ってほしいところである。(A.I.)
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2010年03月15日

アフター・カーニバル深夜便(第四十回)〜TAS動画について〜

 前回の将棋の回から新しい方向性を見出しつつある。その方向性に沿う形で行なったのが今回のTAS動画についての放送です。
 いったい、将棋とTAS動画との間の共通点はどこにあるのか、いったいTAS動画のどういうところに現代性が見出されるのか、といったところは、放送を聞いてもらいたいのですが、ひとつ書くと、物語的な想像力の衰退した時代にあっては、客観的な評価基準に基づくゲーム性といったものがリアリティを持つのではないか、ということです。
 この問題は、プロレスの問題と表裏一体で、プロレスが勝った負けたという一試合の事実性よりも、その背後にあるメッセージ(真理)を取り扱っているジャンルであるとすれば、TAS動画のような形で取り出されたゲームというものは、まさに単なる結果のみが重視されるジャンルではないか、と思われるわけです。主観性をどれだけ排することができるのか、ということがここでは問題になっているのではないか。
 最近の深夜便の放送では、こんなふうに物語の問題を扱うという方向性でプロレスを取り上げていますが、それとは別の方向性として、非物語なもののリアリティ、文学的なものとは正反対にあるようなもののリアリティを問題にする必要があるのではないか、と思っているわけです。
 それでは、アフター・カーニバルとしては、どういう方向性に進んでけばいいのか。どういうところに力点を置いていけばいいのか。メンバーの間での強調点の違いはあるでしょうが、この点の模索が今年の大きな課題になりそうです。(SIZ)




(参考)
TASさんが MOTHER2 を70分でクリア 【全力で解説】(バグ等あり
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6305730
DQ6 TAS 4:08:36
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5430641
TAS - アンサイクロペディア
http://ansaikuropedia.org/wiki/TAS

(関連する過去の深夜便の回)
年始特別企画:2009年のゲームを振り返る
http://after-carnival.seesaa.net/article/137214850.html
緊急特別企画:『FF13』とRPGの現在
http://after-carnival.seesaa.net/article/136082603.html

2010年03月13日

格差社会考3

(この記事は2007年8月31日に書かれました)

内田樹がまた格差問題について語っている。(ジニ係数って何?
 ホントはスルーするつもりだったんだけど、何だかだんだん腹が立ってきたので。

私自身は「格差」というのは(ひろく「貧富」といってもいい)幻想的なものだと考えている。
かつて「一億総中流」という認識がひろく流布しているときには(実際には天地ほどの所得差があったが)日本人は一億総中流気分であった。
それと同じように「格差が広がっている」という認識がひろく受け容れられているときには、(実際に所得差がそれほどなくても)格差「感」は強く意識される。
所得200万円の人から見ると、所得が1億円の人も所得が10億円の人も「(雲の上の)同じ世界の人」である。
だが、同じその人は所得500万円の人を自分とは「(同じ地上の)別世界の人」だと思っている。
一方では9億円の所得差が「ゼロ」査定され、一方では「300万円」の所得差が「越えがたい階層差」として意識される。
格差というのは数値的なものではなく、幻想的なものであるというのはそのことである。
人は自分の等身大を原器としてしか、所得差の意味を測ることができないのだが、人が「自分の等身大」と思っているものは、ほとんどの場合、イデオロギー的構築物なのである。



 この人は本気でこういうことを言っているのだろうか。この無神経さが私にはちょっとよく分からない。
 内田は「一方では9億円の所得差が「ゼロ」査定され、一方では「300万円」の所得差が「越えがたい階層差」として意識される。」とし、それをもって「格差というのは数値的なものではなく、幻想的なものである」としているがこれは暴論もいいところであろう。
 考えてみてほしい。
 年収200万円というと一般的にワーキングプアと言われる水準の年収であって、これは既に生活保護レベルだということである。年収9億円と500万円という、超大金持ちと平均レベルの所得差が格差の問題にならないのは、どちらにせよそれだけの金があれば、生きてゆくには困らないからであり、そのような相対的な所得差が問題なのではない。これまでの日本社会が一億層中流という幻想を持ち得たのは、端的に言って誰もが食ってゆくには困らなかったからであって、所得格差がなかったからではない。この、「食うに困らない」という生活水準が維持できなくなっているからこそ、貧困の問題(及び格差の問題)が現在立ち上がって来ているのである。
 むろん年収200万円でも生きてゆくことは可能だ。だが、何らかの事情で働けなくなったとき、貯蓄のないその人の生活は一気に危機的状況が訪れることになるだろうし、そのような崩れ行く崖っぷちを背にして走り続けなければならない生活は、常に強いプレッシャーと不安がつきまとうことになる。つまり年収200万円というラインは、現実的にも精神的にも生きてゆけるギリギリの線上にいるということを意味しているのであって、そういう貧困層に対して、9億円の年収に比べれば200万円も500万円も微差じゃないかとかそういう話をしてしまえる神経は私には受け入れがたい。

 内田樹が私の数倍の年収があろうとも、ビル・ゲイツが私の生涯所得を数分で稼ぐとしても、私がその収入差を問題にしないのは、私自身生活に困らない程度には収入があるからであって、私が「格差という幻想」から自由だからではない。
 いちいちこんなことを断るのは馬鹿げているが、現在ワーキングプアと言われている貧困層は、低所得でもリストラされない、まじめに働いていれば必ず昇給するというような保証がある人々を指しているのではない。そうであれば確かに単なる所得差として片づけることも可能だろうが、しかし今日出現しつつある貧困層は、そのような保証さえないフリーターや日雇い派遣労働者が中心である。フリーターなど存在しなかった時代や終身雇用が一般的であった時代を基準に所得格差を考えてはならない。明日の仕事さえあるかどうか分からない彼らは、結婚して子どもを生んで貧しくても暖かな家庭を築きたいというような、ごくささやかな夢さえも見ることはできない。ただ自分自身の明日の糧を稼ぐだけである。それは既に人間としての尊厳を奪われていると言って良いのではないのか。
 彼らに対して「格差なんて幻想だよ」と言って、内田はいったい何を得ようとしているのだろう。仮にそう言われた貧困層の人々が「そうだ。格差なんて幻想だ」と考えたとしても、そのことによって誰かが救われるとは到底思えない。(A.I.)
posted by A.I. at 12:49| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

強いのは誰か?――谷川浩司、羽生善治

(この記事は2005年6月12日に書かれました)

●谷川浩司
谷川は将棋を変えたと言われる。記録だけを見るとそれほどではないが、谷川以前と以降では将棋の質が変わったとまで言われるほどの人物である。実際谷川の存在がチャイルドブランドと呼ばれることになる世代(いわゆる羽生世代)を用意したのだし、羽生にあっという間に追い上げられ、タイトルをとられながらも同世代のなかでただ一人前進し続け、今なお5本の指に入る実力を持っている(トップ3と言っても良いくらいである)。谷川の棋風はよく「光速流」と呼ばれ、とにかく終盤のスピードに定評がある。独特の美学があって、おそらくそれが谷川の強さとなっている反面、その美学が邪魔をして勝ちに拘りきれずどこかで限界になっているのだと思う。

 人柄はとにかく誠実で、羽生七冠を許したとき、谷川はまず「ファンの人に申し訳ないし、羽生さんにも申し訳ない」と言った。目標とする棋士は羽生善治で、このように十歳も年下の棋士が目標であると公言できる真摯さと将棋に対する(とりわけ強くなろうという)情熱には、ファンならずとも胸を熱くさせるものがある。

 2ちゃんでの愛称は「タニー」。「達人」とも呼ばれているようだ。


●羽生善治
将棋界の麒麟児。これまで紹介した誰もが十年にひとりの天才と言っても過言ではないと思うが、この人は別格の天才だとぼくは思っている。羽生が七冠を達成する前年、最後のタイトルを賭けて羽生は谷川に挑戦した。この年マスコミは初の七冠という歴史的瞬間を目の当たりにできると思い、こぞって羽生を持ち上げたが結果は三勝四敗でタイトル獲得を逃した。マスコミを含め、多くのファンはこの結果に失望し、六つものタイトルを羽生が全て維持してその上翌年のタイトル挑戦者となるのはまず不可能と諦めたが、羽生は苛酷な日程のなかそれをこなし、タイトル挑戦者となっただけでなく、最後のタイトルも谷川の手からもぎ取り、史上初の七冠を達成したのである。この年の羽生の年間勝率は0.8364で歴代二位。それも普通勝率の記録はデビュー直後のものになるが、これはトップクラスの棋士ばかりを相手に達成したものである。通算成績で言えば、1100戦時点での勝率が7割4分。比較してみても、大山は1100戦時点で0.701。中原は0.694。この二人も歴代から見れば図抜けた大記録なのだが羽生はさらに4分も上である。また1992年の竜王戦以降、常に三冠以上のタイトルを保持し続け、03年と04年に立て続けに森内俊之にタイトルを奪われるまでは彼以上のタイトルホルダーはいなかった。森内によって一冠までに落ち込むものの半年のあいだに三タイトルを奪い、現在四冠である。これに加え準タイトルと言える朝日オープン選手権も保持。逆に森内が現在は名人のみの一冠。現在名人戦が行われているが、2勝3敗で森内ややリードであるが、油断ならない状況である。そのうえ佐藤康光が保持している棋聖戦もはじまり、羽生先勝。竜王戦は比較的早々に敗退したものの、六冠という可能性も十分にありうる状況である。

 羽生が七冠を達成したとき、森下卓は「棋士全員にとって屈辱」と言い、また囲碁棋士の誰だったかは(誰か覚えていない)「他の棋士は何をしている」と言ったらしいが、羽生世代は羽生のネームバリューによって覆い隠されている印象があるものの、むしろこれまでの将棋の歴史には一度としてなかったほどに強豪が多く、多士済々なのである。幼少からのライバルであった森内俊之、佐藤康光(これに羽生と先崎学を加えて「チャイルドブランド」と言われた)をはじめ、遅れてきた羽生世代と言われる藤井猛、郷田真隆、丸山忠久、先崎学、故・村山聖などどれをとっても(とは言え、先崎学だけは「期待はずれの羽生世代」と言われたりするが)超一流である。またあの林葉直子や現女流棋士の2トップである清水市代、中井広恵もこの世代であり、さらにアマチュアにおいてはプロ棋士相手に圧倒的な勝率を誇っている(とは言ってもあくまでC級の棋士相手だが)瀬川晶司など、とにかくこれでもかというほどに強い棋士が多く(A級棋士はプロでも10人しかなれないが、羽生世代が過半を占めている)、決して羽生以外の棋士が弱いわけではないのである。

 これほどまでに羽生が強いのは、おそらく彼がオールランドプレーヤーであるという点と大きく関わっているのだと思う。華麗な指し回しをする棋士はいる。独創的な手を考える棋士もいる。勝負に辛く執念深い棋士もいる。羽生はそのどれもに当てはまる。勝負に辛く、ほとんど負けている対局も手を抜かず最後まで粘る一方、羽生マジックと言われる華麗な差し手を考える。研究肌であり勝負師でもある。これまでの棋士は自分の得意な戦型に拘り、ひとつを極めるというタイプが多かったが、彼はそのような拘りはなく、どのような戦型もこなし、対応できる。

 「極端な言い方をすれば、将棋の初手で最善が何かというところまで 極めていきたい」羽生の言葉である。道を極める人というのはこういう人を指すのだろうなと思う。(A.I.)
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2010年03月11日

強いのは誰か?――中原誠、米長邦雄、加藤一二三

(この記事は2005年6月12日に書かれました)

●中原誠
大山の長期政権を奪取したのが、この中原誠である。この人も大変な実力の持ち主で、名人位を通算15期に渡って保持し続けた。棋風はおそらく大山に似ていて(と言いつつ実は中原の棋譜を並べたことがない)、ちょうど大山と升田の関係が、中原と米長にあたると思う。どちらも終生のライバルと目されながら、名人位は常に大山・中原が持ち続けた。堅実な性格で升田・米長のような華麗さはない。しかし中原と米長は大山・升田と違って仲は悪くなかった。

 中原が何と言っても世間的に注目されたのが、例の林葉直子との不倫事件で、林葉は当時女流のなかではナンバーワンの実力と美貌を持っていたからまあある部分ではしょうがないと思うが(中原もなかなか男前だし実力的には10年にひとりの天才である)、やはりあの「今から直子邸に突撃しま〜す」という留守録がワイドショウで流れたのは痛かった。林葉は変なティーンズ小説を書いたり失踪したりヌード写真を出したりと奇行で評判だったのだし、そもそもぼくは大して綺麗だと思わないので、何であれがいいのかと思ったものだ。ともあれこの事件によって中原=誠実のイメージはあっという間に崩れ、中原=突撃のイメージができあがってしまった。しかし実は中原は面の皮の厚い奴らしく、当時米長は落ち込んでいるであろう中原を慰めようと「大丈夫か」と声をかけたところ、「つらい。昨日は6時間しか寝られなかった」と答えたということで、そのとき米長はもう二度と中原の心配をするのは止めようと思ったという。

 ちなみに「2ちゃんねる」などでは中原は「突撃」という愛称で親しまれている。


●米長邦雄
中原のライバル。将棋の強さや棋風にかんしては升田に似たところがあると思う(ような気がする)。この人は話が面白くなかなか気が利いているので、テレビなどメディアへの露出が多い。思想的にはばりばりの保守で、将棋が出来なければただのエロオヤジである。その昔米長が本を出そうとしたときにそのタイトルを『まんこ知新』としようとしたことは有名で、ときの編集長・大崎善生(今は作家になった)が懇願して『温故知新』にしたというエピソードがある。また他にも『正常位よ永遠なれ』という本も出したらしく、なんと言うか中学生レベルのギャグを嬉しそうに言う奴なのである。某料亭の女将が「まえは結婚するなら中原さん、不倫するなら米長さんと思っていたけど、今は中原さんは浮気しなさそうな顔をして実はしているが、米長さんはしそうな顔して実はしていないので、結婚するなら米長、不倫するなら中原と考えるようになった」と言ったらしい。

 2ちゃんでの愛称は「※」。


●加藤一二三
加藤は14歳でプロデビューを果し、「神武以来の天才」と呼ばれた天才棋士である。獲得タイトルは多くないが、急速にレベルの上がっている棋界において62歳までA級に在籍し続け、特に18歳でのA級昇格はおそらく絶後のスピード記録であろう。プロ棋士ではそう珍しいわけでもないが早稲田大学を卒業しており、人間的にはかなり面白い。

 つい最近のことだが、公式戦中に「待った」をした(正確に言うと指したあとに手を戻して指し直した)ために、罰金及びその棋戦の出場停止処分をくらっており、こういうことをやってしまうあたりが加藤らしいと言える。他にも様々なエピソードがあるので紹介してみよう。

 秒読みしている最中に「あと何分?」と聞きまくる。

 タイトル戦で庭の滝の音が気になったらしく「滝を止めてくれ」と要望した。

 たたきつけるように駒を打つため時々駒を割る(加藤曰く「香車が一番割れやすい」そうだが、そうか?)。

 解説のときの加藤は本当に面白くて、やたら早口で声が裏返りまくる。おまけに「こうきて、こうきて、ああ、ふ〜んなるほど」とひとりで納得してしまう。

 6手目で1時間45分の長考をしたことがある。先崎学は解説で「やはり天才のやる事は凡人には想像すら出来ない」と言った。先崎も幼少の頃は「水戸の天才」と言われたが、さすがに「神武以来の天才」にはかなわないと言うことか。

 2ちゃんでの愛称は「123」か「ひふみん」。個人的には「ひふみん」という愛称は可愛くていかにも加藤一二三っぽくて好きだ。(A.I.)
posted by SIZ at 22:45| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月09日

強いのは誰か?――木村義雄、大山康晴、升田幸三

(この記事は2005年6月12日に書かれました)

 今現在、森内名人と羽生四冠のあいだで名人戦が行われているが、名人の歴史を遡ると、これは江戸時代の初代大橋宗桂にまで行き着く。宗桂は碁の本因坊算砂と共に信長、秀吉、家康に仕え、慶長七年(1602年)に詰将棋五十番『象戯作物』を山科言経(ときつね)を通じて後陽成天皇に献上した。これが現存する最古の詰将棋であり、最古の棋書である。(参考サイト詰将棋博物館)また日本最古の棋譜は1607年(慶長12年)6月に指された、先手:初代大橋宗桂と後手:本因坊算砂によるもので、正直それほど強く無さそうな感じもするが、四百年前に指された棋譜が現存するということは何にせよすばらしいことである。(参考サイト将棋ファイル)

●木村義雄
この名人位が襲名制から実力制に改められたのは1935年(昭和10年)のことで、関根金次郎十三世名人が名人位を辞退し、第1期名人戦(当時の正式名称は名人決定大棋戦)がそれから2年にわたって行われ、1937年(昭和12年)に木村義雄が実力制初代名人(十四世名人)となった。木村は常勝将軍と呼ばれ全盛期には八段陣を香落ちで総ナメにしたほどの実力を持ち名人位を8期務めた。

●大山康晴
次に来るのが巨人・大山康晴である。大山に負けて名人位を明け渡したとき木村は「良き後継者を得た」と言ったと言われているが、大山はまさしく将棋界のドンと言えるような存在だった。名人位を通算で18期に渡って保持し続け、他のタイトルをあわせると獲得期数は実に80期。どんな棋士も年齢とともに実力が落ちていくと言われながら大山は生涯A級に在籍し続けた。その性格は堅実の一言で、「最高の技術というのは、平凡な手を続けること」「平凡は妙手にまさる」「最善の手が3手読めれば良い」という彼の言葉からもそれがうかがえる。

●升田幸三
大山の生涯のライバルで在り続けたのが、この升田幸三。大山はその超人的な強さにもかかわらず、人気のない棋士である。これは大山の性格や将棋の地味さもあるのだろうが、それに対し升田は華麗な棋士であり死してなおものすごい人気を誇っている。その将棋は常に斬新で挑戦的でアイディアに富んでいた。また当時4,5段のプロ棋士相手に圧倒的に勝っていた(5戦4勝)小池重明という真剣師(賭け将棋専門のヤクザ者)相手に角落ち将棋を勝っている(大山でさえ角落ちは負けたのに)という実力の持ち主で、羽生善治は「古い棋譜は大山−升田戦以外参考にならない」と言っているほどである。升田自身は常に大山を敵視しており、プライベートにおいても公務においても常に大山とはそりが合わなかった。対局中、エアコンの温度で対立することもしばしばで、大山が「暑い。室温を下げろ」と言えば升田が「寒い。上げろ」と応酬する。大山が升田に対し「頭が邪魔で盤が見えない」と言うと「おまえの頭が光って盤が見えない(大山はハゲだったので)」と応酬する。やっていることはまるでガキだが、しかし升田の言葉を読むとユーモアと知性に溢れており、その感性の豊かさを感じずにはいられない。(A.I.)
posted by SIZ at 23:34| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月08日

アフター・カーニバル深夜便(プロレス特集その2)〜アントニオ猪木について〜

 プロレス特集の第2弾はアントニオ猪木についてです。
 僕たちにとってのプロレスの問題とは、90年代後半からゼロ年代にかけてのプロレスの衰退に関わっているわけですが、それでは、それ以前のプロレス、とりわけ、アントニオ猪木のプロレスとはどのようなものだったのか、ということが今回のテーマです。
 特に問題にしている試合は、1983年6月2日に行なわれたハルク・ホーガンとの試合です。
 放送の中でも言っていますが、僕がゲストのナリチカさんから直接聞いた言葉で強く印象に残っているのは、「プロレスは真理を扱っている」というものです。単に勝った負けたという結果だけが問題なのではない、ということです。しかし、逆に、勝った負けたという単純明快なゲーム性こそが、まさに、ゼロ年代においてリアリティを獲得していたのではないか。だとすれば、現在を生きるわれわれにとって、こうした真理の次元と関わることは果たして可能なのか。
 根本的には、こうしたことをこの一連の特集で問題にしていると言えます。(SIZ)



(参考)
アントニオ猪木 vs ハルク・ホーガン 1983年6月2日IWGP
http://www.nicovideo.jp/watch/sm921194
アントニオ猪木vsモハメド・アリ 格闘技世界一決定戦
http://www.nicovideo.jp/watch/sm417592
ムタ vs A猪木 入場シーン付き
http://www.nicovideo.jp/watch/sm4588694

(関連する過去の深夜便の回)
プロレス特集(その1):90年代のプロレスを思い出す
http://after-carnival.seesaa.net/article/141969826.html

2010年03月05日

将棋の歴史

(この記事は2005年6月12日に書かれました)

 日本に伝来した当初の将棋はもちろん今とは駒の数も種類も動かし方も違っていた。当時の将棋は現在平安将棋と呼ばれ、ゲームというより研究の対象でしかないが、時代が進むにつれて必勝手順が見つかったりルール上の不備が起きたりしてルールが改正されるようになった。13世紀頃には平安大将棋に駒数を増やした大将棋が遊ばれた。15世紀頃には複雑になりすぎた大将棋のルールを簡略化した中将棋が考案され、この中将棋は戦前まで関西を中心に遊ばれていた。現在では中将棋はほとんど遊ばれることはないが、今なお根強くファンが残っており、中将棋倶楽部というサイトも存在している。

 また大将棋と同じころ考案されたのが小将棋というもので、これは現在と使用する駒はほぼ一緒で(「酔象」があるが)、これが16世紀頃に後奈良天皇の命によって「酔象」が除かれて現在の将棋のかたちになったと言われている。日本独自のシステムである駒の再利用もおそらくこの頃からはじまったと見られており、確か司馬遼太郎だったと思うが、これを戦国時代の社会状況と関連づけて、日本は当時下克上であり、戦って死ぬくらいなら敵に降伏して相手の武将としてまた手柄を立てるという当時の気分の大らかさを反映したのだと述べている。これについては面白いエピソードがあって、敗戦後GHQに当時の棋士升田幸三は「日本の将棋は捕虜を兵士として再利用するが、これは捕虜虐待ではないのか」と問われて、「チェスはキングがやばくなると女王を盾にして逃げるが、これは女性差別ではないのか。日本の将棋は敵を殺すことはしないし、以前と同じ官位で雇う。これこそ民主主義というものだ」というような反論をしたという。

 さて、江戸時代に入ると将棋は幕府の公認となり、将棋の家元である名人らには俸禄が支払われるようになった。その一方でだいぶわけのわからんような将棋も考案され、天竺大将棋・大大将棋・摩訶大大将棋・泰将棋などというのもができた。その中でも最もわけのわからないのが大局将棋というもので、これは縦横36マスの将棋盤を使用し、駒の種類は実に209種類もある。これはウィキペディアというサイトによれば、2004年5月19日放送のテレビ番組「トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜」の中で、伊藤博文と安用寺孝功による対局が行われ、対局時間32時間41分の末、3805手で先手安用寺の勝利となったということであるが、はっきり言って時間の無駄である(参考サイトウィキペディア 大局将棋)。(A.I.)
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2010年03月04日

将棋の起源

(この記事は2005年6月12日に書かれました)

(「将棋のこと」というA.I.氏のエッセイを項目ごとに分割して連載形式で投稿することにする)

 うちの父親が将棋好きだったため、小学生くらいまではぼくも将棋が大変好きなガキであった。当時どの程度の棋力があったのか今では分からないが(思うに精々5級くらいのものだったろう)、とにかく学校で一番強かったのは確かである。その後長ずるにつれて次第に興味をなくしていったわけだが、ここ1年くらいでまたも将棋の面白さに目覚めてしまい、弱いながら(3級程度)もよく将棋を観戦したり、研究畑にいたせいか、将棋の起源や特異性などを調べたりしている。というわけで将棋のことについて書いてみたい。

 将棋に類似するゲームは西洋のチェスや中国の象棋、韓国のチャンギなど数多くあるが、それらは全て同起源であるとされ、その起源は古代インドのチャトランガであると言われている。日本に将棋が入って来たのは6世紀頃というものから平安時代というものまで諸説あり、はっきりしていない。しかし『将棋の起源』(増川宏一 平凡社)によれば、奈良県興福寺から将棋駒16点とともに天喜6年(1058年)と書かれた木簡が出土したことから、少なくともその11世紀までには伝来していたことになる。伝来ルートは中国、韓国を通って来たとするのが一般的であるが、最近の研究では東南アジアのいわゆる「海のシルクロード」を通ってきたという説が有力になってきている。その根拠となっているのは、中国の象棋は駒が丸であるのに対し、日本の将棋は五角形であることや、象棋はマスの線上に駒を配置するのに対し、将棋はマスの中に駒を配置するといった違いなどが挙げられている。この他中国や韓国の将棋よりも日本の将棋のほうが起源が古い(らしい)ことなども東南アジア経由説の根拠になっているが、しかし駒に漢字を使用していることなどを考え合わせると中国・韓国経由説を簡単に捨てることもできないだろう。

 それにしても個人的には、中国の象棋が「象」の字を冠していることが実は不思議で、これはおそらく「かたどる」という意味で使用しているのだと思うが、チャトランガの駒に「象」という駒があることや(インドだから)、日本の古い将棋にも「酔象」という駒があったことを考えると、インドから中国を通って日本に伝来したと考えるほうがしっくりくるような気がするのである。(A.I.)
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2010年03月01日

アフター・カーニバル深夜便(第三十九回)〜羽生善治以後の将棋について〜

 今回のテーマは将棋です。
 メンバーのA.I.さんは将棋に詳しい人なので、現代の将棋について語ってもらいました。
 とりわけ羽生喜治という人がどういう人なのか、羽生以後の将棋はそれ以前とどう異なるのか、といったことが話のメインです。(SIZ)



(参考)
プロフェッショナル将棋羽生の未放映トーク映像!
http://www.youtube.com/watch?v=lNJ4kduxkSk

(関連する過去の記事)
羽生(保坂和志)
http://after-carnival.seesaa.net/article/121260843.html
ハチワンダイバー(柴田ヨクサル)
http://after-carnival.seesaa.net/article/134179897.html
先崎学の浮いたり沈んだり(先崎学)
http://after-carnival.seesaa.net/article/107668846.html
まわり将棋は技術だ(先崎学)
http://after-carnival.seesaa.net/article/55264757.html

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